人間は年齢とともに変わるもの?
自分の中のもう一人の自分
最近私は自分で、ものの考え方、受け止め方が楽観的になってきたと感じています。こんなとき自分はもっと時間をかけ、立ち止まって考えるタイプじゃかなったかなと感じるようなことが増えてきました。
ドタキャンになった時、
右脳人は映画に行き、
左脳人は「なぜ、急に?」と考えるデートがドタキャンになると、右脳で考える人は、「あいた時間に、見たかった映画を観よう」と考えます。
(中略)
人間の頭の中には、ポジティブな部分とネガティブな部分の両方があります。
両方あって、ちょうどいいバランスがとれているのです。
ポジティブに働くのは右脳です。
と聞いてみると、楽観的になってきたと感じる私の脳はいよいよ老化?? が進んできたのか、理論的に考える左脳が崩壊してきて左右のバランスが変わってきたのじゃないかなんて思うのですが、その発想自体が左脳の発想なのですね^^;
人生、私が選び私が歩く道は、何か外からよほどの力が働いたり、自分でも考えられないような突飛な方向へ行こうとしない限り、想定外のところへ進むことはないような気もします。もしそうなら、私なりに積んできた経験はこの先も私自身を助け、支えてくれるような気がするのですが、その私自身が変わってきたという感覚はどこから来るのだろうと思うのです。”想定外のところへ進むことはない?” なんだかつまらないんじゃない?? と思ったりするようになってきたのです。
以前の私には考えられなかったことです。人間の内面を作っているのが理性と感情だとしたら、制御が効かない感情は役には立たない・・・そんなふうに捉えていた時期もあったくらいです。
もちろん、理性 = 左脳 でもなければ 感情 = 右脳でもありません。そうではなくて、自分を支えるために何かを否定する、ダメ出しありきの思考パターンだったように感じるのです。特に20代半ばから30代前半くらいまでは、
見当もつかないことに、見当をつけよう。
ということも苦手なら、
NGの理由を考えない。
なんていうことも、自分を鍛える、向上させるためにはあり得ない、NGに向き合うからこそ進歩があると感じる方でした。

自分の中の不思議な力
左脳がブレーキあるいはトランスミッション、右脳がアクセルあるいはエンジンなのだとしたら、以前の私は自分でもはっきりと感じるくらい左脳のブレーキタイプだったような気がします。アクセルとブレーキはどちらもなくては困ります。どちらか一方では走れないはずです。ということは、かつての私でも右脳は働いていたとうことでしょうか??^^ それともあらぬ方向へ迷走していたということでしょうか??
不思議なのは、これと言ってああしよう、こうしようと思ってやってきたわけではないように感じているということ。風の吹くまま気の向くままだったというのではなくて、えらくブレーキ型の人間のような自覚があったけれど、それを何とかしなくちゃいけないと悩んでいたわけではなかったということです。左脳の右脳のバランスという点では無意識だったと言えばいいでしょうか。左脳と右脳がオートパイロット!? で今の航路に乗っているという感じがしているのです。
左脳人は、絵を輪郭から描く。
右脳人は、中心から描く。左脳型の人は、モノを輪郭から描きます。
つまり、パターン認識しているのです。
リンゴであれば、まず丸く描いて、軸を描きます。(中略)
ところが、右脳型の人は、部分から描きます。
たとえば、ガクから描くのです。
ガクから描くと、ディテールが実物に忠実になります。
ただし、バランスのぎこちない絵になります。
つまりは、何が大切か、面白いのは何なのか、その集中力が高まるだけで右脳の働きも高まるのかも知れませんね。
さて、みなさんはこれだけは譲れないという大切なもの持っていますか? この際私も考えてみます^^