どんな患者なら医療をうまく利用できるだろう?

患者に求められるものがあるとしたら

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体調というもの自体を意識する必要がないとすれば、それは健康であることの裏返し。

ただ、そんな健康なときにこそ、医療ってどんなものだったか、医療を上手に利用するには何が必要だったかを確認しておきたい - そんな気がしています。

特に、アレルギー性の喘息を患い、日常的に抗アレルギー剤を中心とした薬でバランスを取っているだけに、どこかになくすことのできない危機感が残っているのです。

医療を利用していくときに出会うセカンドオピニオンという仕組み - いつでも必要になるものではないだろうと思いますが、私たちはしっかりと理解し、利用する準備はできているでしょうか?

このセカンドオピニオンのすぐ隣にはこれまでいくつか記事にしてきたインフォームド・コンセントがあって、このふたつは私たち患者にとって車の両輪のようなものだと思います。

そしてこれも記事にしてきたように、どちらもしっかりと理解し、私たち自身が備えていなければ必要なときに上手に利用することができないという性質のものでもあります。

私たち患者の数だけ診断の受け止め方があって、治療やその治療へのアプローチの仕方がある。だから、私たちは自分で納得のできる治療を受けたい - そんな私たちの希望に応えるように約束事、あるいはシステムとして整備されてきた医療における情報公開の実際。それがインフォームド・コンセントであり、セカンドオピニオンなのだと言えるでしょう。

私たちがこれまでどのように医療を利用してきたか、医療が提供されてきた形というものが反映されているシステムなのですから尚更、上手に利用できる患者でありたいと思うのです。

病状ひとつに診療科ひとつ - 私たちのアプローチではじまる医療との関係

歯が痛いと思えば歯科、発熱し悪寒がしていれば風邪をひいたのだろうと考えて内科、幼い子どもが熱を出したとすれば小児科と、自分の体調や症状を考え私たちなりの判断で受診する科を決めて助けを求めているのが病院という施設ですね。

そして通常は、その受診科で出してもらった診断を理解し、信頼して、健康を取り戻すために必要な手順 - 検査や治療 - をたどっています。

ここでと思っていた診療科で解決できない病状だと言うことが分かってさらに別の科を受診するということはありますが、よほど突発的な病状とか事故でなければ、自分で受診する科を決めるという私たちのアプローチから医療の支援ははじまる - つまり、医療との関係は私たちがアプローチしてはじめて始まるのです。

ただその一方 (もうずいぶん前の話しにはなるのでしょうが)私たちには、診断に必要な検査の方法や処方する薬に関する判断は医師に任せる、という感覚が強かったのではないかと思います。

今では矛盾して聞こえる話しです。医療に助けを求めるけれど、そこから先の診察、検査、診断、そして治療を医師に任せたい、そんな感覚です。

そしてさらに、医師に任せるという感覚が強かった私たちは、自分で納得できる治療を受けたいと望んできたのです。

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自分の病状を理解し、診察の内容、診断の意味を理解する。そのために必要と思う説明を求め、納得できる治療を受けたい、そんな希望です。

医師に任せたいという願いは医師との信頼関係をどう構築するかという目的になり、納得できる治療を受けたいという願いは患者に求められる自己責任への意識になる - そう言っていいかも知れません。言ってみればインフォームド・コンセントやセカンドオピニオンは、そうした私たちのためのツールでもあるのです。

そうした一歩先を行く意識を持ち、そのツールを使える患者になることができるでしょうか。

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