自分の両親とうまくコミュニケーション取れてます?^^;
ああ言えばこう⁉︎…^^;
人の言うことをそのまま受け取らず、逆へ逆へと切り返してくれる⁉︎
「可愛くないね」と笑うしかないなんてことがわが家でもあったなぁと思い出します。両親や祖父母とのコミュニケーション、うまくできていますか?^^
頑なさを感じただけで、お年寄りにありがちな天邪鬼な反応? なんて思ってしまいそうですが、ちょっと考えてみるとその頑なさの中には、私たちの方が逆に気づかなくてはいけない大切なものが隠れていることがないでしょうか?
こんな先輩の言葉に教えられること
「『マイナンバー』スマホで利用
将来 行政的続き可能に」
二月二十七日の讀賣新聞でそんな見出しが目に止まった。出典:佐藤愛子氏著・「九十歳。何がめでたい」
そんなふうにはじまる 「来るか? 日本人総アホ時代」 とタイトルした章で語られている言葉は、みんなが考えてみなければいけない大事なものが含まれていると感じるのは私だけではないだろうと思うのです。
年寄りが敬意を払われなくなったのは、この急速な「文明の進歩」のためだ。私はそう思っている。
(中略)
「文明の進歩」は我々の暮らしを豊かにしたかもしれないが、それと引き替えにかつて我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を摩滅させて行く。
もっと便利に、もっと早く、もっと長く、もっときれいに、もっとおいしいものを、もっともっともっと・・・・・。
もう「進歩」はこの辺でいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。
私には、こどものころに聞いた祖父母の話しを思い出す話しです。
祖父母の話しはいつも「人として生まれたのだから… 」であり、「男たる者… 」であり、こんな人間になるのだよ、という話しをそれはそれはたくさん聞かされました。
佐藤さんのこの章はマイナンバーとスマホからですが、祖父母の話しと同じ香りがするように感じます。
“そもそもマイナンバーもスマホも暮らしをよくするために作られたもの。その道具が暮らしの中心になってしまっていないか!? それが本当に私たちが望んだものだったのか!? それとも、そんな意識を持つこともできないのか!?” - そんなたくさんのダメ出しをされているような気がするのです。
人生悲喜こもごも
そして、私たちの普段の暮らしには色々なことがあるものだ - あらためてそんな思いになるくらい、バリエーション豊かな話題が並んでいます。
そのひとつひとつが私たちには大事なものなんだと言われているような気がするのです。
毎年盛夏の二か月近くを私は北海道で過ごす。東京の家はその間、無人である。冷蔵庫以外の電源は門燈も含めてすべて落として出かける。
にもかかわらず、昨年の夏、電力会社の八月の請求額は「八千円」だった。くり返すが四十日間、この家は無人である。鍵を厳重にかけて誰も入れないようにしてある。
なのに八千円。(中略)
ファックスの用紙が尽きたので、誰か(娘かおばさんか)が新しい用紙に入れ替えた。その入れ方が間違っていたのか、送られてくる通信が白紙のまま流れて山になった。そこでNTTへ相談の電話をかけたら人が来た。何のことはない用紙の入れ方が違っていただけであるから、修理費はいりません、出張費だけいただきますという。いいですよ、おいくら? 八千円。えっ? 八千円。まただ! (わが家には八千円の呪いがかかっているのか!)いったいどんな遠くから走ってきたというのだ!
こんなふうに、綴られている話しの多くが、日進月歩で変わっていく私たちの暮らし、文明とか文化といったものに向けられています。
そしてそれと同時に思うのは、普段の私たちは、そうやって自分のまわりで起こることに、気持ちや時間、体を支配されることが多いなということ。
当然といえば当然なのですが、それでは困ることもありますよね。
佐藤さんの言葉をたどっていて感じるのはぶれないということ。気持ちも自分の時間も身体も支配されず、文明や文化と自分の間にしっかりと線を引いているように感じるのです。自分を中心にしているからこその安定感のようなものがあるのです。
抱腹絶倒というのは大袈裟にしても、暮らしの中で自分たちの周りで起こることにペースを持っていかれてなるものか! 自分の人生は自分のために生きるのだ‼︎ - 人生あるあるというくらい、たくましい心で暮らしていこう、そう言われているような、励ましを感じさせてくれるこの一冊。
是非、若い人たちにも読んでほしいと思うのです。