言葉は過去から未来へ

私たちはどんなふうに言葉や文字を扱ってきたか

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パソコンというツールの普及、仕事の基盤となってきたOSの発展とともに翻訳という仕事を積み重ねてきた私ですが、達成されたアナログからデジタルへという仕事環境の変化のあとで感じているのが、主客の逆転です。

辞書デジタル化のはじめ

私が産業翻訳の業界に身を置くようになった時期、パーソナル・コンピューター、つまりパソコンが発売され、仕事の現場で使われるようになり始めていました。当時、仕事の主流はまだ紙とペン。文字を書くために使われていた、より高速、高精度のツールと言えば、電子タイプライター写植という時代でした。表の罫線を引く作業には、ロットリングからすぐちも残っていました。仕事に必要な知識の習得、確認は印刷された書籍の形をしている辞書で行い、翻訳と編集のための原稿作成は文字どおり、ペンを使った手仕事でした。600ページのマニュアルの翻訳と原稿を完成させるために3ヶ月、4ヶ月という時間をかけたものでした。そうした時代の職場にパソコンがやってきて、産業翻訳のデジタル化が始まったのです。

紙とペンの仕事と並行して、パソコンという技術とその可能性を習得しながら、仕事に必要な情報のデータ化を始めた時期、それがデジタル化の始まりでした。英語からドイツ語のマニュアルを作る方法、手順を学び、パソコンとOSの使い方、ソフトウェアの使い方を覚えなながら、さらにパソコンを使いこなすことを目指し、先輩プログラマーのアドバイスを得てC言語、そしてC++を学びました。仕事に必要な情報をデータとして蓄積し、ソフトウェアの特性を活かすための作業フローをデザインしていた時代が、アナログからデジタルへの始まり - そして、デザインした作業フローの安定化と高速化を模索した時代が、デジタル化が定着しはじめた時期だったと思います。

デジタル時代と仕事の熟成

デジタル化が定着しはじめた時期は、OS、パソコンの発達が加速しはじめた時期でもありました。それと同時に、私たちの仕事も高速化が始まったのです。かつて3ヶ月、4ヶ月、はなはだしい場合には6ヶ月という時間をかけていた仕事は、いつしか1ヶ月以内、しかもそのスタンダード化、つまりすべてのマニュアルを1ヶ月以内に完成させることを標準とするという時代に入りました。

考えてみれば、それでもまだ十分ではありませんでした。私たちが取り組んでいるのは、製品を説明する取扱説明書であり、製品を整備するためのメンテナンスマニュアルで、3ヶ月、4ヶ月、あるいは6ヶ月と言っていたのは、製品の完成から数えていたのですから。製品の説明書は製品が完成し、その製品を確認しながら作成するというのに近い感覚が基礎にあり、その説明書が完成していなければ翻訳はできないと考えられていたからです。その製品とマニュアル作りのタイミングをいかにシンクロさせるかという、メーカーの方々による努力が払われたのも、この「高速化」の時期に重なっています。

産業翻訳という仕事の熟成 - それは、説明書(マニュアル)は製品の一部である、という考え方が定着、実現されていくことを意味するもので、それを支えていたのが、OSとパソコンの高速化、高精度化、それに対応するためのストレージの巨大化だったと思います。

デジタル化がもたらしたもの

CPUの処理機能の高速化OSのマルチタスク化ストーレッジの大型化によって、紙とペンの仕事はほぼ100%、ディスプレイを前にキーボードとマウスだけで行うものに変わりました。私たちが使う辞書も、通常は電子辞書データとして蓄積した用語集を意味することがほとんどとなり、ページを繰っていた辞書を引くという作業は、OSとソフトウェアに支援される自動検索という方式に変わりました。PC

産業翻訳の作業は、私がこの仕事をはじめた頃のいったい何倍にスピードアップされているでしょう。かつて、およそ1ヶ月かけていた仕事(新旧の差分確認という作業)が、データの設定、機能の実行というおよそ15~30分ほどの工程で終わるようになっているのですから、単純計算でも 14400 : 30、つまり 1/480 の時間で終わる、480 倍に高速化されたということになるでしょうか。

仕事は高速化されただけでなく、精度があがり、できあがりの美しさも飛躍的に高まりました。しかも、説明書(マニュアル)とその翻訳版は、製品に添付されるようになりました。時代がこの成果に到達するまで、私がパソコンに出会ってからおよそ20年。ずいぶん時間がかかったと言うべきでしょうか、はるかに短時間で達成されたというべきでしょうか。どう評価するのが正しいか、私には分かりませんが、時代はさらに進み、私が感じる主客の逆転が起こるようになってきたのです。

高速化のその先

製品に添付されるようになった翻訳版マニュアル - その先に来たものは、製品の多角化とそれに伴う更なる高速化です。つまり、製品はバリエーション豊かなモデルに分化され、同時に発売される傾向が強くなりました。説明書の内容は、それぞれのモデルに共通の内容とモデル固有の内容に分けられるようになりました。共通の内容はモデル数がいかに増えても1回翻訳すれば良く、それが工期の短縮と費用の圧縮に貢献します。

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この短縮と圧縮の効果は、One Source Multi Useと言われる、文書管理システム、その概念と機能が産業翻訳の成果と同じように、実を結んだひとつの形であるということができるでしょう。高速化、高精度化がユーザーの利便を確保する形で完成してきたとも言える現状ですが、そこで感じる主客の逆転とは何か。それは、翻訳の精度と速度を高めるためのツールであり、システムであったものが、翻訳の質を変えはじめているという症状です。

たとえば「日本語の乱れ」とか、「敬語が正しく使われなくなった」というような話しを聞くことがあります。乱れというよりは、時代に則した傾向であり、必要も含まれていると私は思っていますが、捉えようによっては、私が仕事で取り組む言葉に感じている主客の逆転はそれに近いものかも知れません。ソフトウェアが、あるいはシステムが扱えないのだから、扱える表現にせざるを得ない - そんな症状です。「原文では System。日本語にするには表示スペースが2文字分しかないから短縮形にしよう」、そんな例です。システムとは表記できないから、系統?と表記する - 産業翻訳では、そんな限界を超えようとする例が出はじめて、もうかなりの時間がたっています。

言い換えれば、辞書で確認できる言葉に置き換えただけでは完成できない翻訳は、文化を置き換えてはじめて完成すると、私は考えていますが、たとえば、ひとつの単語をひとつの訳語にリンクして仕事を終えたいというシステム中心の発想で、高速化の先の産業翻訳は、どんな形になっていくでしょうか。

英語の1人称単数、自分を表す “I” という単語を、日本語1語に置き換えて良しとすることができるか - それを考えてみていただくと、主客の逆転を想像していただけるでしょうか?

自分を表す日本語、「私」や「ぼく」のほかにいくつ思い出せますか?

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