親が自分の最後を語るとき。子どもが介護を思うとき。

親子の間の気持ちをつなぐことはできるはず

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親であれば、子どもに辛い思いをさせたくないと感じるのが人情というもの。
いくつになっても、いつまでも、自分のことは自分でするように・できる自分でいなければと思っていますね。

そしてそれと同じように、
子どもであれば、親に辛い思いをさせたくないと感じるのが人情というもの。
いくつになったとしたら、いつでも、頼ってもらえるような自分でいなければと思っていますね。

そして、そんな親子が向き合うと、どちらが原因ということはないのだけれど、なぜかスムーズに話しをすること・気持ちを通じ合わせることができなくなる。
特に、親が自分自身で、

  • できなくなるかも知れない・分からなくなるかも知れないと感じているとき
  • できなくなった・分からなくなったと感じているとき

ほど、親は助けを求めることができず、子どもは支援を提案してやることができなかったりする…

そんな傾向があるように思うのです。
しかもその傾向は、私の経験、私の周囲から聞こえてくるケースは、息子と父親、あるいは母親の間で起こりがち - なぜなんでしょうね。

息子と母親の間にあるのは、女性脳と男性脳のすれ違い??

たとえば、息子と母親の思いのすれ違いを考えると、女性脳と男性脳の話しを思い出すのです。

母親は世間話的をするような感覚で、もちろん、自分にとって大切なことばかりなのでしょうが、「ああいうことがある」「こういうことがある」「あれが楽しい」「これがやっかいだ」と話しをしたいと思っている。

ところが、息子(男性脳)の方は、”結論の出ない話しが苦手”。
特に、「これがやっかいだ」「あれができなくて…」というような話しを聞くと、「どうすればやっかいでなくなるか」「こうすればできるようなるんじゃないか」と反応してしまう。

ところが、「ああいうことがある」「こういうことがある」「あれが楽しい」「これがやっかいだ」という話しを、まずはそのまま受け止めてくれればいいのに… と思っている母親(女性脳)にとっては、「自分の話しをちゃんと聞いてくれない!」とことになる。

息子にしてみれば、一生懸命答えを探して考えるかいのない理不尽な誤解! ということになるのですね。

ところが、息子にしてみれば、自分が親の保護者になっている。
何をどうすればいいか、何をどうすべきかという親のための判断を求められるようになっているのです。
姉妹がいるとしても、問い合わせは自動的に長男のとろこにくるような仕組み(?) が社会には備わっている。
つまり息子は、男性脳と女性脳を上手に切り替えなさいと求められているようなものですね。

そして、もしそうだとしても、その切り替えというのが簡単なことではない… それが問題ですね。

息子と父親の間にあるのは、本能的な闘争心? 社内的な責任?

母親との関係を考えてみると、息子と父親の関係も自然と見えてきますね。

「自然と見えてくる」ということは、息子の思いはどこか別のところに置いて(?)、
何をどうすればいいか、何をどうすべきかという親のための判断は男である息子が対応してくれるという期待があるように思うのです。

そして、母親のときと同じように、親子というつながりがありますね。そしてこのつながりが一番のキーのように思います。

息子と父親の間にあるのは、男対男の「言わなくても分かる」(?) 責任を持つべき者同士の価値観、その共有できる部分と対立する部分だろうと思うのです。

親子という関係が邪魔になる?

自分の経験を振り返って思うのは、
息子・母親の間にしても、息子・父親の間にしても、親子というつながりは「信頼」というポジティブな力を発揮してくれたり、相手を思いやることを忘れさせる「慣れあい」というネガティブな力になったりすつものだなということ。

自分を伝える・相手を受け止める - 「信頼」と「慣れあい」はそのどちらの場面でもいっしょに働くもので、互いの物言いから「遠慮」を忘れさせる。それはよく言えば「率直」だり、悪くすると「辛辣」ということになってしまうこともありました。

本当の気持ち - Living Will につながるもの

人工透析をしなければ2年… と、自分の余命を確かめた義母は、あと少しで残りがその半分というところまで時間を過ごしたことになります。

いつか

  • できなくなってしまうだろう・分からなくなってしまうかも知れない

と、覚悟していたとしても、その緊張といっしょに暮らすのは大変なことだろうと思います。

義母のストレスや心労を思いやる義弟は、
義母の心と体に無理をさせたくないという思いと、「歓び」「暮らしがい」「安心」や「楽」のためにこうしてやりたいという思いの両方をどう両立できるだろうかと心を砕いている。

心を砕いても「形」になるものがないために、義母には義弟の真意が分からない。
こういう息子であってほしい、こうしてくれたらいいのにと思えば思うほど、その分からなさ加減がおおきくなってしまい、義弟への話しに角が立つ。

その角を義弟は受けて立ってしまうわけにはいかないと思うので、言葉も少なくなり、義母の心との距離がますます開いてしまう…。

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ところが、互いに話す言葉の端々に、互いの本当の気持ちがちゃんとにじんでいるのです。

話しは、義母のLiving Will、この先のQuality Of Life に関わることです。
家族のみんなが気持ちをひとつにしなければいけないと、誰もが思っています。

だからこそ、親子の関係も、男性脳・女性脳の話しも、すべてを抱きかかえて前に進む融和の力が必要なときだと思うのです。

 

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