気がつかないところで進む体力の衰え
健康のためにと何気なく出かける散歩。その大したことのなさそうなことが体や心の健康にどれくらい大切か - 私は父や母の晩年にそのことをずいぶん感じたものでした。
そして今、義母が坐骨神経痛の診断を受け、立って歩くというその何気ない行動がしにくくなってしまいました。
本人やそばにいる家族はどんなふうに過ごせばいいでしょう?
きっかけはひとつの病気
義母は数年前、足に腫れが起こり、蜂窩織炎(ほうかしきえん)という私にとっては耳慣れない病名の診断を受けたことがありました。
義母の場合、患部はふくらはぎ。ちょうど蜂に刺された時のように腫れた患部は熱も持っていて、うっ血したような痛みと重苦しさを感じる症状だったようです。
もともと毎日の買い物や健康のためにと散歩に出かけることが好きな人で、買い物が楽に、より安全にできるようにと三輪タイプの自転車を購入して間もなくのことでした。
その少し前から散歩のあとの足に違和感を訴えていたものの、義母なりに工夫をし、気をつけながら暮らすようにしていたのですが、散歩や買い物、そして体に負担がかからないようにという工夫さえ取り上げられるようなことになってしまったのです。
少し大袈裟な言い方かも知れませんが、義母にとって、生活の張りを持てなくなってしまったというようなことがなければいいがと心配したものでした。
何と言っても義母は85歳を超える高齢になっていますから、使えたくても使えないという足腰が衰弱することだけは何とか予防してやれないものかと思っていました。
小さなできごとがいくつも起こるようであれば
ただ、そうした経緯も関係してか、義母はここ1年あまりの間に生活の何気ない場面で足をぶつけたり、転倒したりということが増えていました。日々の買い物を手伝うから、という家内の申し出を素直に受けて、買い物の品を連絡してくれるようになったのはある意味安心でいいことではあったのですが、自分のことは自分でやるからと、ちょっと頑固さを感じさせるくらいの元気が影をひそめてしまうのには別の心配を感じていました。
そしてそんな、足腰の衰えを感じる状況が今回の坐骨神経痛の診断につながっています。
足もとを見誤って足を踏み間違ったり、上がれると思った1段の段差が上がり切れなかったり - 普段なら笑って終わりにできるような小さな失敗の陰に、実は注意をようする体力の衰え・足腰の衰えのサインが隠れています。
気をつけなくてはいけないのは、「もう年だから… 」 の一言です。気をつけてね… と思いやる気持ちでかけた言葉が、本人の気持ちを傷つけ萎えさせてしまっていることがあります。それだけは気をつけてあげてください。理不尽な年寄り扱いと感じさせてしまっては、こちらの思いやりもちゃんと伝わらなくなってしまいます。
年齢は二の次、三の次と思って、同じ目線で話し合い、同じ目線で診察してくれる医師を選んであげてください。
いたずらにプライドを傷つけてしまっては、せっかく早めの診察をと病院を訪ねる気持ちになっても、二度目はない! ということになってしまうとも限りません。それほどに、80歳を過ぎたような高齢者の足腰は衰えやすいです。
義母の抱えている痛みを考えている時に、疼痛.jp というサイトに出会いました。そこに語られている説明を読むと、私たちの体は自分たちで思っているよりデリケートにできているんだなということが分かります。
体そのもの、痛みを感じる仕組み、そしてその痛みを受けとめて反応しようとする心の部分 - 痛みがその3つのバランスを壊してしまうのだということがよく分かります。
「痛み」は、体温、呼吸、脈拍(心拍)、血圧と並んで、私たちが生きていることを示す“サイン(バイタルサイン)”ともいわれ、私たちの身体や命を守る、生命活動に欠かせない役割を持ちます。
しかし、なかには「生命活動に必要ではない痛み」もあります。必要以上に長く続く痛みや、原因がわからない痛みは、大きなストレスになり、不眠やうつ病など、ほかの病気を引き起こすきっかけにもなります。このような場合は「痛み」そのものが“病気”であり、治療が必要です。
足腰の衰えとか体力の衰え - 実は、それを一番恐れているのは、私たち以上に高齢になった親本人だということがあります。
時間を止めるわけには行きません。それだけに私たち子どもきつい口調で親たちの適切な? 対処を求めがちです。けれど、そうした心配も含めて、親の気持ちを汲んだ対応をしてあげることはできないものか - その柔らかさがどうしても必要だろうと思うのです。
もし体調が少しずつ変化してしまうことがあるとしとしても、気持ちを通じさせることの素晴らしさを分かち合おう - それくらい、気持ちに余裕を持って接することで高齢になって、固くなりはじめた親の気持ちにも触れることができる - せん妄さえ発症して盾突くようにして自分の思いのとおりにしようとしていた自分の父親のことを思い出すにつけても、子どもの側の対応も頑張らなくてはと思うのです。