クローズアップ現代が伝えた「サイレントチェンジ」に思ったこと

品質に安心・安全は含まれないのか?

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今、サイレントチェンジが問題になっている?! というようなニュアンスで伝えられていたように感じたのですが…

サイレントチェンジを扱ったクローズアップ現代の番組を見たのは、もう3年も前ことですが、この「サイレントチェンジ」、本当は何年も前から問題視されていたことなんですね。

その昔、安かろう悪かろうと言われ、欧米に並べるようになるにはどうすればよいかと研鑽を積んだと言われる日本のモノづくり?! - そんな話しも聞いたことがありましたが、日本のモノづくりが自分を取り戻してくれるといいがなと他人事のようなことを言っているだけではなく、私たちにもできることは何かないだろうか… なんて感じながら番組を見ていました。

私は以前、「iPhoneに印刷物になった取扱説明書がないのはなぜか」の中で、

取扱説明書はユーザーに向けた製品に関する情報ですが、その情報の意味や必要性は、伝える側と受け止める側の関係によって変化する - そのことを私たち産業翻訳に関わる者は今、あらためて認識しています

ということを書いたことがありました。

その昔、「取扱説明書は製品の一部だ」 ということが言われていた時代がありました。その「一部」がなくなっても(あるいは、その存在を意識させない)製品が製品として成り立っている… 成り立っているように見える製品が出てきた…
そこにとても大きな変化を感じているということを書きたかったのです。

しかもその変化は私たち、製品を買い、使う側が求めるもの - つまりは需要 - もひとつの要因として起こっているのだろうな… ということを表現しようとしたのが この言葉でした。

よく考えてみれば、メーカーが取扱説明書で伝えようとしていたのは、

  • これはどういう製品で、どう使うよう設計されているのか
  • 安心、安全、便利に使ってもらうにはどうすればよいか(=どんな手順で使うのか)
    そして
  • 故障した(と思われる)ときにはどうすればよいか

大きく分けるとそんな点だったと思います。

その一方で、取扱説明書がない製品 がそれとなくアピールしてきたのは、説明しなければ使えないのは製品とは言えない!? というニュアンス。もしかしたら、そのニュアンスは私たち消費者が勝手に創り上げていたかも知れないなと感じるのですが、私たち消費者自身の中にもサイレントチェンジと言えそうな変化が起こっていなかったかな? とも感じます。

つまり、取扱説明書をよく読んで正しく使おう、と言っていた製品感が、「消費者は使う者、安全・安心はメーカーが守るもの」? というように。

iPhone のような簡単・便利と言われる製品も、充電の仕方や製品のコンディションによってはタッチパネルが変形して機械の内部が見えるほど反り上がってしまうこともありました (これは私の実際の経験ですが)。

けれど、iPhoneは印刷物としての取扱説明書 - 実際には iPhoneユーザーガイド となっていますが - を持たず、私たちも何かなければその存在や場所を確認しようとはしない… 製品と安全・安心は分離していると言っていいかも知れません。
窓口に行ってするのは、「直すにはどうすればいいだろう」という話しです。その間の「安心して使い続けるには…」の部分がなくなっているように見えますから。

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(c) Can Stock Photo / fantasista

消費者は使う人?

ISO9000、いわゆる品質ISOをどうすれば適切に運用できるかという品質管理の取り組みをした経験から感じたのは、「サイレントチェンジ」という言葉の使われ方の不自然さでした。

「メーカーの知らないところで下請けや孫請けの会社が製品の部品やその素材を指定に沿っていないものに変えてしまう」とか、「製造の工程や部品調達のグローバル化にリスクが潜んでいる」という意味合いの説明がされていたように思うのですが、言葉のままに解釈すると、発注するメーカー側はそのリスクを知らなかった??、あるいは管理していなかった??! と聞こえてしまいます。

神戸製鋼や日産自動車のような問題はあるとしても、製造コストを問題にして生産拠点や部品・材料の調達先をそれまで取り引きのなかった会社に求めるとなれば、それなりの試験や確認を行って契約を取っているのではないのかな? と思うのです。

下請けや孫請け先の「モノづくりの歴史が浅い」というようなことがサイレントチェンジを引き起こしている要因のひとつと聞こえる説明もあったように思うのですが、丸投げ・めくらばんで仕事をしているのでなければ、自社の製品にどんなものが使われ、どんなふうに製造されているかを知らなかった? ということは起こらないのじゃないのかな?? と思うのです。

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「信頼はしても確認はおこたらない」ように、そして、「安全にはお金がかかるという理解」を持つことが大切だろうというコメンテーターの言葉もありましたが、製品を作るすべてのメーカーにとってはとてもとても厳しい、むずかしい問題だろうと感じます。
私たちが取り組んでいる翻訳のようなものでさえ、日本のものは高くて買えない! と言われることが日常茶飯事です。為替レートのことをちょっと思い起こせば分かることですね。その上、品質管理の経験から想像しても、その管理自体がとんでもなく時間と費用を必要とするものだということが分かりますから。

そうなのです。
海外に求めた下請け・孫請けの会社はまだ「モノづくりの歴史が浅い」と言っていましたが、その言葉のすぐ隣には、私たち自身が「モノづくりを忘れている」ということがありはしないか?! そんな気がするのです。

もし製品が、使う人の需要と作る人のアイデア・想いがいっしょになって生み出されるものだとしたら、使う人 - 私たち消費者も製品作りの一端を担っている… ちょっと大袈裟かも知れませんが、それくらいの反省をしてみようと思います。

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