最後の言葉をどう伝えることができるだろう

居心地の良さの中にある小さなすれ違い

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母は、「日本の男性は自分の女房に向かって “大事だ” とか “愛してる” なんて言葉にすることはないんだから…」と言って、父親のことを揶揄することがありましたが、その母自身、どれほど父親を大切に思っているかを言葉にして伝えていたのだろうか - そんなことを感じたことがありました。

決して中の悪い夫婦だったわけではないのに、相手に対する気持ちをことさらあらためて言葉にして伝えることが何となく気恥ずかしかったり、照れくさかったり - どちらか一方が素直になろうとしているときに限って、もう一方がはぐらかしてみたりと、そんなふうに過ごしてきたふたりだったのではないかと思うことが少なくなかったのです。

それこそ、夫婦の間のことは当の夫婦にしかわからないもの。
ですから両親の間がどうこうと言うつもりはないのですが、父を送ったあとになって、自分に対する父の思いを知ったという母の話しを聞いたとき、分かち合うということの意味を考えさせられたのです。

 

can you tell your true mind
(c) Can Stock Photo

もしものとき、本当の思いを預けることができるだろうか

今思えば、老衰が進んでいたのだろうと思うのですが - 母ががんの告知を受けた当時、父は寝床から起き上がったり、あるいは寝床の上にでも体を起こすということがほとんどなくなって、日常は、母が話しかけない限り意思の疎通が成り立たなくなっているように見えました。

父の最晩年は亡くなるまでのおよそ10か月というもの、そんな状態だったのです。母のがんが分かってからは父の肺炎が発覚し亡くなるまで6か月。ですから、父はいつ、自分の思いを手紙に残したのだろうと思うのです。母はどこでその手紙を見つけたのか、聞かないままになってしまいましたが、父はなぜその思いを自分の口から伝えなかったのだろうとも思うのです。寝たきりに近い体調になる前だったとしたら尚更です。

そしてその疑問といっしょに、元気だったころの両親を思い出していました。素直に自分の思いを口にすることがない - そう見えていた両親を。

 

世代というものの切なさを感じもしました。「男女七歳にして席を同じうせず」は、重んじるべき礼節のはじまりとして教えられたものだというのが祖父母、両親の説明でしたが、自分の思い - 喜怒哀楽 - は簡単に外に出すものではないとも語っていました。

そうした躾、教育を受けてきた両親にとっては、思いを口にして伝えるということがうまくいくはずもなく、口から出るのは相手を揶揄するような表現ばかりだったのではないかとも思ったのです。

 

形よりはそこに込めた思いを

父の最晩年、その6か月。もしかすると父自身、そういう手紙を書いたことさえ覚えていなかったのかも知れません。

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母の最晩年、輸血なしでは命の危険があるし、正常な精神活動 - 思考 -さえできなくなっていくという私たち子ども側の危機感を知ってか知らずか、母は、「意識がはっきりしているうちに、自分でいられるうちに伝えておきたい」 と言って私と妻とに話しかけてくれました。

文字にした手紙であれば手元に残して読み返すことができますが、母のその時の言葉は私たちの記憶の中に残っているだけです。

 

伝えること、受け止めることに正解はないだろうと思います。ただ、やはり、自分の本当の気持ちを、伝えたいと思う人には自分の言葉で伝えることが互いを救うことにもなるのだと思うのです。
私たちの世代はうまく伝えることができるでしょうか。うまく受け止めることができるでしょうか。自分の最後の言葉、相手の最後の言葉を。

 

 

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