仕事が人生の中心ではないはずだけれど

本気だと学べることも多いというのはいいことか、悪いことか

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ドラッカー氏の著書を読んでいて思うのは、考えること気づくこと、あるいは知ることって面白いなということ。

どういうことかと言うと、考えず、気づかず、知らずに済ませていることがこんなにあるんだなということでもあります。
「チコちゃんに叱られますよ! 」みたいな感じでしょうか^^;

たかが仕事のことなんかで、こんなふうにつきつめたこと考えなくてもいいだろ‼︎ という声も聞こえてきそうな気がしますね!^^; それに、一日のうちのざっと3分の1の時間を過ごしているのが職場なら、少しでも自分のためになるような、良い過ごし方をしたいな⁈ という考え方も納得ができるように思います。

そんな、是か非か… の議論もそうですが、仕事に関係することですから、文字通り生活がかかっている!? という緊張感のようなものがあって、仕事そのものや職場のこと、そして仕事や職場にまつわる人間関係 - 自分のものの考え方とか周囲の人のこと - といったものを考えたり、取り組んだりすることに何か深い意味を感じてしまうという、ちょっと困った?! 性質のものでもあるように思います。

そして、最近になって分かってきたことがあります。
特に、自分自身のことです。

それは、二十代に入って間もない - 大学を離れて仕事についたときからあれこれ経験してきたこと、そのひとつひとつの意味が理解できるようになってきた。しかも、それぞれの経験がジグソーパズルのピースのように収まるところに収まって、ひとつの絵のようにつながって見えるようになってきたのです。

ドラッカー名言集と題された著書の中にこんなページがあります。

誤解される上司の言葉

上司の言葉、些細な言葉じり、癖や習慣までもが、計算され意図された意味あるものと受け取られる。
…「マネジメント」

コミュニケーション成立の条件

コミュニケーションを成立させるのは受け手である。内容を発する者、つまりコミュニケーターではない。彼は発するだけである。聞く者がいなければ、コミュニケーションは成立しない。
…「マネジメント」

出典:P.F.ドラッカ-著 / 上田惇生 氏編訳・「仕事の哲学 (ドラッカー名言集)

片や、上司と呼ばれる人の言葉がどんなふうに聞こえるかという話し。
片や、コミュニケーションってどいうものかという話しですね。

そしてそれぞれが、少し違った角度からも見えるのです。

片や、上司と呼ばれる人の言葉をどんなふうに聞いているか… という自分のことに重なるし、
片や、コミュニケーターはどう発すれば、相手が聞いてくれるだろうという自分からの話しになったり、
聞く側がどう聞いていればコミュニケーションと言えるのだろうという自分への角度になったりします。

2つの話しが合計5つのピースになるのです。
縦に横に広がっていくマインドマップを描いているようなものです。

広げようと思わなくても、あちらのピース、こちらのピースが「ああ、ここだ!」という感じにつながっていくのです。

つながり、広がり、ひとつの絵として完成していく様子も、それを言葉にして伝えて話してみる… 確かめてみる… ということができることが分かってきますが、実は、20代30代のころにはそうではありませんでした。

ひとつひとつのピースがつながるとか、つなげるという発想がありませんでした。
そのむかし、人々が地球は平らな世界だと思っていた?! 平らに続いていく海には果てがあって、その果てまで行くと海は途切れている! というようのに似ています。

つなげることができないということは、分からないままということ。
分からないから何となく焦りのような、苛立ちのようなものを感じているんだけれど、それをどうすればいいのかも分からない - それが今は、いつの間にか元に戻っている!? 地球は丸かった(球だった)! と分かってきたというような感じです^^

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仕事を考える・確かめるのは、自分を考え・確かめることにつながる - それが分かるようになるのに何とたくさんの時間を費やしてきたことか!!^^; そして、そういう精神活動は、何か大事なことのような気がするけれども、いくら頑張ってもあまり生産性があるようには思えなかったりするのです。

ただ、こうも思うのです。

実践するドラッカ- のシリーズが[思考編], [行動偏], [チーム編] など、いくつかの切り口を持っているように、仕事とか職場、自分というものも、色々な角度から捉えることができるようになると世界が少し違って見えるような気がする、と。

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