仕事のレベルは自分であげるのか? それとも経験があげてくれるのか?

良い仕事、良い製品… それは誰がどうやって決めてくれるのだろう?

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最近、職場や若い仲間を見ていて感じているのは、優先順位という言葉を意識したり、前提にして仕事や自分のやることを考えたり選んだりすることがなくなっているのではないだろうか… ということ。

ましてや、劣後順位なんていう言葉を出そうものなら「それって何です??」ということになりかねない雰囲気も。

自分たちの力を信じてのことなのか。それとも、何かの強迫観念に迫られて、All or Nothing のように自分を追い込んでしまっているのか。目の前にくる仕事や持ち込まれる注文にかたっぱしから応えようとする。

前向きに仕事に取り組んでいるわけですから文句はないようなものですが、ちょっと待ってもらいたいな… と思うケースが増えています。

難しいのは劣後順位の決定

誰にとっても、優先順位の決定はそれほど難しくない。難しいのは劣後順位の決定、なすべきでないことの決定である。延期は放棄を意味する。一度延期したものを復活させることは失敗である。このことが、劣後順位の決定をためらわせる。
… 「創造する経営者」

出典:P.F.ドラッカー氏 著・「仕事の哲学 (ドラッカー名言集)

学生時代、一般教養のカリキュラムで選んだ心理学で、人の精神活動の中で形成に一番時間がかかり、一番最後に完成するのが「判断力」だと学んだことがありました。

もしかすると、今私が伝えたい・教えたいと感じている優先順位とか劣後順位というものを扱おうとしたとき、この判断力が問題になってくるのだろうか? と感じています。

今の私の仕事は翻訳という分野の注文生産性のサービスです。サービスという名、翻訳という名の製品を届けるのが仕事だというとき、その製品には常に品質というものが求められます - 当然と言えば当然なのですが…。

そしてその品質というのはどういうものだろうと考えるとき -
いえ、実際には考えずに、教えられたり覚えてきた手順に従って「品質のための仕事をしていると思っている」ことが多いのです。

品質はQCDで構成されていると言われることがあります。

  • Quality(品質)
  • Cost(価格)
  • Delivery(納期対応)

の3つですね。
品質の中の品質?? というのはちょっとイメージできない! と思ってしまいがちですが、そうではなくて、普段「より良い翻訳」といいながら文体や用語、統一性、判読性… とやっているのが QCD の中の「品質」で、いつも口にしたり問題にしている品質です。

これが満たせなければクライアントに届ける製品としての翻訳が成り立たないのですから、力を入れたくはなるのですが、その品質を構成するエレメントの間にもバランスというものがあるのですね。

文体や用語、統一性、判読性… とやってより良い品質の翻訳を届けるのが良い仕事なんだろうか?
と言ってみると、このバランスの意味がわかるでしょうか。

原文が何を言っているのか分かればいいので、文体や用語、統一性、判読性… にあまり比重をかけず、

  • もう少し早く
  • もう少し安い
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翻訳を届けて! と言われたらどうすればいいでしょう!? というわけです。
品質最優先ではなく、価格も納期ももう少し考えて… という注文だったとしたら。

このバランスを重視しようとすると、優先順位とか劣後順位をイメージしやするなると思うのです。

どうですか?^^

 

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