自分の仕事が何なのか - 仕事に対する “誇り” というのはもう古い議論??

リーダーと部下の違いはどこにあるのか

スポンサードリンク

「力量および認識」は、 ISO9001 の要求事項を学び、その内容に従って自分たちの品質マニュアルなるものを作ろうとしているときに覚えた言葉でした*

MEMO:
*: ISO 9001 の2008年版では 6.2.2「力量、教育・訓練及び認識」、その改訂版となる2015年版では 7.2「力量」、7.3「認識」に変更されています。

その言葉を今、チームという形になっている、自分が所属する部署やその構成メンバーを見まわすたびに思い出しています。

「認識」を思い切って言ってみると… たとえば、

  • 会社が目指している品質方針 - どんな製品を提供しているか、その製品に求められている品質 - を理解している
  • 自分の仕事は何なのかを理解している
  • 自分の仕事と製品品質の関係 - 自分の仕事の仕上がりや、責任の範囲 - を理解している

そんな内容になるだろうと思うのですが、その「会社が目指すもの」、「会社が部署に、自分に求めるもの」が理解できているにも関わらず、その求め - 一般には業務指示とか業務命令と呼ぶのでしょう - に応える術(すべ)を知らないというか、応えられない仲間がいる。

この症状も、一般的には「コミットメントが不完全だ」などと説明するのかも知れませんが。

なぜ・何のためにその仕事をやっているのか??

部下を使うのが管理職の仕事だ!? ということを言うことがありますが、たとえば、
業務命令は “やっていただく” というたぐいのものではない! やる・やらない、やりたい・やりたくないという個人の気分の問題にどう合わせるかではない!
と言いたくなるリーダーや管理職の思いをどうすれば「成果をあげる部下の仕事」につなぐことができるのか、を考えなくてはならないなと感じる場面があるのです。

「コミットメント」という言い方をするにしろ、「認識」と言うにしろ、「個人と組織のベクトルをどう合わせるか」を語った「実践するドラッカー【チーム編】」(上田惇生氏 監修/佐藤等氏 編著)に意識が戻っていきます。

言い換えれば、合わせなければ合わないままになってしまうベクトルのずれが存在するということです。そもそも、なぜ・何のためにそこにいてその仕事をやっているのかと聞かないではいられなくなるような「ずれ」です。言ってみれば、「コミットメント」を取るも取らないも、組織の運営に関する責任はすべてがリーダーにある… と聞こえる言葉に出会うたびに、切なさやむなしさを感じている管理職も多いような気がします。

ただ、それにしても、思わず立ち止まってしまったのがこの言葉でした。

理解されることの責任

知識ある者は、理解されるよう努力する責任がある。素人は専門家を理解するために努力すべきであるとしたり、専門家は専門家と通じれば十分であるとするのは、野卑な傲慢である。
…「経営者の条件」

出典:P.F. ドラッカー氏 著・「仕事の哲学 (ドラッカー名言集)

スポンサードリンク

語っている問題、切り口は違います。
それは分かっているのですが、たとえば、「雇う側と雇われる側」とか、「上司と部下」というような言葉で表される人間関係、その基本になっているはずの信頼というものを、向かい合って立つ二人の人の間に置いた言葉のように聞こえるのです。

しかも、上司あるいはリーダーの側に向かって発せられた言葉のように。

向かい合って立つ二人が「上司と部下」のような関係だったとして、ベクトルのずれや違いのもとになるような、何がそれほど違うのか。それをもっとよく理解しないといけないような気がしているのです。

 

スポンサードリンク

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です