客観性ってなぜ必要か
自分のことはなかなか客観的に見ることができない… いわゆる、部下を持ち、1つの部門を率いるリーダーとなっている仲間がそんなことを言っていました。
- 会社の活力をいかに高めることができるか、それは仲間のパフォーマンスにかかっている。
- 自分の仕事は、会社の打ち出す方針を仲間にとって、納得して取り組めるような形にして渡すこと。
- 納得度の高さを確保することで、取り組みの質を高め、目標に近づけよう
彼はそんなビジョンを持って、会社の意思を自分の部門に浸透させようという考えの持ち主です。
そのビジョンは少しも間違っていないと思うのですが、自分自身の言動がその自分のビジョンにしっかり沿ってくれているものか、自分を客観的に捉えることがイマイチうまくできないと言うのが彼の自己診断なのです。
人間というのは自分の意志で行動するものですから、そんな人間が自分で自分を客観的に見つめようとすると、2つの意味、2つのタイミングで自分自身を見つめることが必要になります。
- 行動を起こそうとするまで、あるいは行動を起こそうとする段階で、自分の判断、自分の考えを見つめる客観性。
- そして、行動のあと、その結果をどう評価すべきか確認しようとする客観性です。
客観と主観 - このバランスはとても微妙・繊細でやっかいなものですし、私の仲間のような感覚になることは多いものだろうと思います。
特にその仕事仲間が言っている客観性というのは、今まさに別の仕事仲間と言葉を交わした瞬間、あるいは仕事についての判断・指示を出そうとするその瞬間に
- 自分ならどうするか
- 部門にとってどうしてもらうべきか、そして
- 相手にとって何がより良い判断・指示なのか
を判断できる力のことを言っているように思うのです。自分はそんな判断力を持つべきではないか、それが部門を率いる者の責任ではないのかと感じている様子なのです。
客観性というのは何だろう
その思いは何となく分かるようにも思います。
ちょっと想像してみただけでも二重、三重の人格を持たなくてはできることではないだろうと思っていたその思考・反応をその仕事仲間の年齢の頃、私自身も持ちたいものだと思っていたのですから。
たとえば、そうした判断力、感受性は正しい業務報告ができるようになろうという訓練を重ねる中で育てることができます。
サラリーマンのみなさんは、正しい報告、正しい相談、できていますか? 仕事を進めていく中で起こった事実だけを正確・簡潔に言葉にするのです。
When, Where, Who, What, Why そして How - 5W1H という言葉がありますが、その5W1Hだけを伝えるのが(業務)報告。そして、その報告に対して上司の判断を求めるのが相談 - そう捉えるのです。
急がないと間に合わなくなってしまうと思っていたが、××課長が急ぎの仕事だという指示を持ってきたために対応せざるを得なくなり、そちらの作業をしている間に納期に間に合わなくなり、客先に迷惑をかけてしまった
正確に事実を伝えようとしているように思えますが…
ここで報告しなくてはならない事実は最後の部分。「納品が間に合わなかった」ということと「客先に迷惑をかけた」という2点*1。その時自分はどう思っていたか*2 は二の次でいいのです。
つまり、*1 が客観的な事実。*2 が状況(しかもその時の報告している者の主観)です。
客観的事実とか客観性というのは、1とその数そのもの以外の数字で割ることができない素数のようなものです。つまり、第2第3あるいは第4と別の判断があるようでは困るのです。
納期に間に合わなくなり、客先に迷惑をかけてしまった
というように、別の人の判断が入り込む余地がないものが客観的な報告ですから、万一にも、報告を受けた側が
お前はそれでなくても仕事が遅いんだから気をつけろと言っていただろう!…
と主観的に受けてはいけません。
- 客先への連絡は正しく行い、お詫び、対処の指示を仰ぐことはできていたか
- 納品の手順をし直し、のうひんそのものは正しく行われたのか、
- 客先はその納品物を受け取ってくれたのか… などなど
客観的な事実の確認をすることが報告を受けた側の客観的な対応です。
仕事仲間は決してこの例のような主観的な上司ではありません。お手本のような客観的な対応ができていると思います。
それでも自分を客観的に見ることができないと感じているのですから、その客観的な反応が正しいか正しくないかの判断が自分では効かないことが多いと言っているのだろうと思うのです。
客観性によく似たもの、あるいは客観性を補佐するような意味合いの力として観察力とか洞察力と呼ばれるものがあります。この2つは似て非なるもの。方や、目に見えるものを注意深く見る・見て判断する力、もう一方は、目で見ただけでは分からないものを直感的に理解し判断する力と言えばいいでしょうか。
客観性とこの2つの力のどこが似ているかというと、主観が入りこむ余地がないほど、その精度が高く力が強いということです。
- 自分ならどうするか
- 部門にとってどうしてもらうべきか、そして
- 相手にとって何がより良い判断・指示なのか
その3つは必ず鼎立(3つですから両立ではありませんね^^; )できるようになります。そのヒントは子どもを見つめる親の目線… そんな気がします。
若い父親としても頑張る仕事仲間に第3の目が開く日を待ちたいと思います。