仕事の意味を考えることが仕事だ言われたとしたら、どうします?

自分にダメ出し!? できる人がどれくらいいるかと言うと…??

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パワーハラスメントという言葉、今もう誰もが知っていますね。

ドラッカー氏のこの言葉は、たぶん、仕事の効率とか意義を語ろうとしたものではなかったろうかと思いますが、この言葉を読んで思うのは、権力とか権限の所在がどこにあるかに関わらず、私たちの社会は人と違うことを嫌う社会だったなということです。

貢献しない仕事はノーと言う

忙しい人たちが、やめても問題のないことをいかに多くしているかは驚くほどである。楽しみでも得意でもなく、しかも古代エジプトの洪水のように毎年耐え忍んでいるスピーチ、夕食会、委員会、役員会が山ほどである。
なすべきことは、自分自身、自らの組織、他の組織に貢献しない仕事に対しては、ノーと言うことである。
…..『経営者の条件』

出典:P.F.ドラッカー著/上田惇生 編訳・「仕事の哲学 (ドラッカー名言集)

「やめても問題のないことをする」にはそれなりの理由がある - とでも言えばいいでしょうか?^^;
仕事の方向とか意味とかとはまったく違うところに、その理由はありますよね。

そもそも「やめても問題のないこと」は、「みんなが疑問なく続けていること」であって、それをやめる・やめさせるということは、協調性を疑われたり、仲間の輪を乱す考え・行動だととられるのですから、そうではない! ことを証明するためにも、「やめるわけにはいかない」のです。

仕事の意義とか効率性… 以前の理由なのははっきりしていますね^^;

私も仕事のあと、翻訳の勉強をしたいからと数十年前の「ベルサッサ」な生活をしていたことがあったのですが、あたかも「人として認めない!?」と言わんばかりの圧力をよく受けたものです。

そうした習慣は自分で作ったものだというのも厄介なんですね。何と言っても、自分で作った習慣に自分が縛られているわけですが、言ってみればハラスメントの前提になりかねないものだとも言えるような危なさがそこにはあったのです。

ドラッカー氏の言うとおり! だとは思いながらも、そういう原則的なことを意識しながら仕事をしたり、生活したりしている人はどれくらいいるんでしょう?
あるいは、「仕事だからできるはず!」 とでも言うのでしょうか?

その言葉どおりに生きるということは…

冒頭の一節は『経営者の条件』の [第2章] 汝の時間を知れ の中、「時間の使い方を診断する」という章の中の一節です。

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経営者の仕事はマネジメントであり、マネジメントは組織に貢献するとこが仕事である。だから、エグゼクティブは自分の時間を組織のために使わなくてはいけない。組織に貢献しない仕事にはノーと言って、時間を適正に使いなさい… そんな意味合いの話しの中で語られているのです。

まず第一に、する必要のまったくない仕事、すなわち、いかなる成果も生まない完全な時間の浪費であるような仕事を見つけ、排除しなければならない。
そのような時間の浪費を見つけるには、時間の記録に出てくるすべての活動について、「まったくしなかったならば、何が起こるか」を考えなければならない。答えが「何も起こらない」であるならば、明らかに結論は、その仕事はただちにやめよということになる。

出典:P.F.ドラッカー著/上田惇生 訳・「[新訳] 経営者の条件

そして、冒頭の一節につづくのです。

ということはどういうことでしょう?
「やめても問題のないこと」をつづけている、自分の仕事に「やめても問題のないこと」なんてあるはずもない、といって終わりにしている上司いたとすれば、その人は「するべき仕事をしていない」ということになりそうですよね!^^;

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