世代交代 - イメージトレーニングができるものだろうか

仕事に対する自分の意識を確認する

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世代交代というものを考える時、親と子、若手と年長者などシチュエーションは色々あるのですが、私の場合はどのパターンで考えてもあとを託す側の立場、つまり引き継いでもらう方の人間であることがほとんどです^^;

そんなふうに、何となく年齢を意識するような年齢になってきたんだなという自覚があるだけに、世代交代と現役を離れたあとの自分、そのイメージトレーニングあたりからはじめておくべきかも知れないなと思うようになりました。

あとを託す、引き継ぐということのイメージは?

自分の年齢が少しずつ引き継いでもらう者の意味合いを強めている?! - その感覚はあっても、取り立てて交代を求められているわけでないのに、私は何をしよう、何をしたいと思っているのでしょう。

その気持ちをひと言で言えば、「自分にとって今の仕事がどういうものなのかを確認しよう」… ということになるでしょう。

交代の2つの方法

どういう意味か? - それは、私の直感のようなものですが、交代をどんなふうにイメージしているかによって、仕事と自分の距離感が分かると感じています。

引き継いでもらう側の立場に立って世代交代をイメージしてみると、それまでの自分の仕事に区切りをつけて、その自分のいた場所を自分よりも若い人に代わってもらうこと - そんな感じになるのではないかと思います。

ただ、代わってもらうために何をしようとするでしょう?

[A]
自分が使っていたデスクやキャビネットから、自分が必要としていた仕事のための材料、情報(ファイルや書類、書籍など)を片づけ、パソコンや電話機などのツール類をきれいにして、いわゆる仕事場を明け渡すそれが交代でしょうか?

[B]
そうした仕事場の清掃や明け渡しは一定の時間を割り当てれば十分に実行できるもの。
引き継ぎのメインは主に、自分が果たしてきた実務、そして責任と権限の内容を説明するための資料を作成し、あとを引き継いでくれる人が参照できるようにして説明、あるいは残しておくこと - それが交代でしょうか?

どうも私が交代としてイメージしているのは [B] のことのようなのです。

ただ、この交代、[引き継いでもらう者] と [引き継いでくれる人] の間のコミュニケーションだと思ってみると、二人の間の仕事に対する感覚が合ってこないと、あるいはどんな感覚で仕事を語り・伝えようとしてるか・受け取ろうとするかを分かる、さらには理解しようとしないと、そのコミュニケーションも成り立たないだろうということが想像できますね。
(もちろん、会社という組織が二人に何をもとめるか、どれくらいの時間を二人に与えるかも大きな条件になるでしょうが)

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(c) Can Stock Photo / buchachon

仕事にかける思いが残そうとするものに現れる!?

どちらがいい悪いという話しではないだろうと思いますが、[B] のパターン、つまり

  • 自分の仕事には何が求められていたのか - 責任、そして
  • その求めをどう満たしてきたのか - 実務、さらに
  • そのために、何を判断し、実行してきたのか - 権限

の説明が引き継ぎの中心だと考えている私は、特に今、仕事の進め方や捉え方が独断に偏っていないかどうかに気をつけなくてはいけないのではないかと感じます。

なぜか。
たとえば、「自分の仕事に何が求められていたか」 の部分は、会社組織の中では私一人ものではないのです。

それが部長や課長のような職制を伴うものであるかどうかに関わらず、社員間の役割りがコミットされ共有されている組織であれば、その役割というのは説明されるまでもなく、社員相互に理解され認識されているはずなのです。

ですから、ことさら私から自分が果たしてきた責任を説明するということに、かなりの違和感が残るのです。

責任と権限+実務をひとまとめにしたとしても

その立場に立ち、役割りを負った者が、自分の価値観をどう組み合わせて仕事に向き合うかを決めるもの - そう考えれば、もしかすると、引き継ぐべきは仕事場 [A] であって、仕事の中身ではないと言えるのかも知れません。

師弟関係の中で受け継がれる、マニュアル化ができない技術を受け渡そうとするのでもない限り、引き継いだ者が引き継いだ者のセンスと個性を発揮するのが仕事というもの… できあがるものが違う、作り方が違うというのがあたりまえで、あるべき姿なのかも知れません。

いや、マニュアル化できないというとしたら、それはどの仕事でも同じことなのでしょう。
ですからもし、責任と権限、実務をまとめておくとしたら、それは私自身の職歴の確認やまとめという意味だと思うべきなのかも知れません。

たとえば、課長や係長のような、より実務遂行に寄った立場として交代を考えた場合を想像してみると、私が

自分の過去、現在、未来

いつかは必ずやって来る「」。
世代交代という言葉は私にはそんなイメージもあります。”自ら自分の幕を引く” 時というような、いわば仕事の上の終活のようなイメージが重なるだけに、それをイメージするというのはちょっと複雑な心持ちです。

私には、長いこと、天職か適職かというようなことを考えてきたという面があるのですが、それは自分にとって仕事がどういう意味を持つものなのかを確認する作業だったような気がしています。

仕事に対する自分の価値観と同じように、仲間それぞれが仕事に対して持つ価値観も大切にしなくては、大切にされなくてはならないと思っていたはずでした。

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ところが、交代というものをシミュレーションしてみようかと思っただけで、自分の価値観、仕事観で周囲を縛ろうとしていないか、そんな反省が必要ではないだろうかと感じるのです。

年齢というものを感じはじめている私は、交代を意識することで、自分の過去と現在、未来を確かめようとしているのかも知れません。

to be conitnued …

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