自分を見つめて学ぶ、個性を重んじるということの意味

自分を大切にするということができているか

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個性を重んじる ということと、自分という人格をそのまま受け止めてほしい という思いをどう両立させるか - 私たちはそれぞれが、そんな同じ思いを抱いて生活しているような気がしています。

それは、人に対する優しさ自分をどう守ればいいのだろうというふたつの思いのバランスをどう取ればいいのかと迷っているということ。
このふたつ、本当は迷うことなどなく、ごく自然にバランスが取れて両立してくれてよさそうなものなのに、なぜか簡単にはいかないのですね。

その昔、私が感じていたのは、

  • 互いに互いの言動をチェックし合う窮屈さ、
  • 常に世間というような外にある基準を持ち出して互いを測ろうとする不合理さでした。

それが自分が年齢を重ねたせいか、言われていた立場の年齢を脱したのか、そうした言葉や評価を聞くことがなくなっていたのです。

ここ数年、聞こえたり、読んだりすることが増えていたのは「個性の尊重」という言葉。
ですから、今の人たちは周囲の人たちと自分とのバランスを上手に取れるようになってきているとすれば、とてもいいことなんだが、と感じていたのです。

is this your true silhouette in the mirror
(c) Can Stock Photo / iofoto

私たち日本人の誰もが持つマイナス面?

けれど、そんなバランスの取り方のむずかしさは、形を変え、言葉を変えて今も残っているのだなと感じる一節に世界選手権メダリストの為末大さんの著書で出会いました。

やめること、諦めることを「逃げること」と同義に扱う傾向は、日本の社会においてとくに強いものだと感じる。
僕は「やめる」「諦める」という言葉を、まったく違う言葉で言い換えられないかと思っている。たとえば「選び直す」「修正する」といった前向きな言葉だ。そうすれば、多くの人にとって「やめる」「諦める」という選択肢が、もっとリアルに感じられるのではないだろうか。

(中略)

「これは私に合わなかったけれど、合うところに行けばもっともっと成長できるかもしれないし、もっと高みに行けるかもしれない」

こうした発想がもっと広がればいいと思っている。ところが、日本ではこんな考え方をする人が多すぎる気がする。

「ある分野で優秀な人間は、違う分野に言っても優秀ななずだ。裏を返せば、この分野でだめだったおまえが、違う分野に行ったってどうせだめなんだよ」

出典: 為末大 氏著 「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない

ここに語られている最後の一言 - 「違う分野に行ったってどうせだめなんだよ」。
これは私が感じていたダメ出しの中の典型的な例だと感じます。

この一言はどんな根拠があって発せられるのでしょう?
こういうマイナス評価もあり得るだろうなと想像できてしまうということはありませんか? まったく別の分野や仕事、学業の世界でもあるだろうなと共感できてしまうということは、直接聞かされないまでも私たち日本人の中に同じネガティブサウンドの種が眠っていて、言われる言われないに関わらず、心の中で静かに共鳴し合っているということなのでしょうか?

この最後の一言は、何を根拠に、何のために発せられるでしょう?
この言葉の意味や真意を想像することはできそうにないと私は感じるのですが、こうした言葉を聞いたり、聞かされたりというケースは少なくないような気がします。

別の言い方をすると、私たち日本人の中には確かにこのネガティブサウンドの種が眠っていることがある。意味もなく相手を傷つけにいく差別感のようなものがないだろうかと感じるのです。

マイナスとプラス、両方を認めることができなければバランスはとれない

お互いにその存在を知っているから、無意識に防御の構えを取る - そんな面があるのではないのかとさえ感じます。

何か意味や理由があるはずだ - 最近はソーシャル・メディアの普及でそう考える人が増えた気がする。それはメディアリテラシーが高まったということなのかもしれないけれど、何にでも意味を見出そうとし過ぎる人も増えたように思う。

為末さんはこんなふうに語っていますが、多分本当は、増えたわけではないのでしょうね。私の感覚では、為末さんが言われるようなネガティブシグナルを発する人たちは昔からいたし、何にでも意味を見出そうとする人たちもいたと思うのです。

ソーシャル・メディアが普及した分、そうした言葉を外に出す機会がみんなに与えられ、触れる機会も増えてしまった - 人が増えたというより、もともと私たちの中にあるものが浮き上がりやすくなっただけと感じるのです。

しかも、そうしたネガティブシグナルを自由に? 発信することも尊重すべき「個性」の一部と受け止めて許容しようとする - 衝突を避けようとする - 対処パターンが私たち日本人のバランス?感覚の中にあるのです。だから為末さんの語る言葉、一節一節にうなずけてしまうのだと思うのです。

もう一度戻ってみましょう。
もし、”人に対する優しさ自分をどう守ればいいのだろうというふたつの思いのバランスをどう取ればいいのかと迷っている” のだとしたら、どうすればいいのか - 個性か自分かの二者択一を忘れなくてはいけない、そう思います。

「ある分野で優秀な人間は、違う分野に言っても優秀ななずだ。裏を返せば、この分野でだめだったおまえが、違う分野に行ったってどうせだめなんだよ」

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という言葉の「裏を返す」、これが二者択一です。一方を受け入れて一方を捨てているからです。なぜ裏を返す必要があるのでしょう?

衝突を避け、その意見の個性を尊重したとしても、自分の意見を持ち続ければいいのです。一方を受け入れるのであれば、裏を返さず、もう一方も受け入れるべきなのです。
そうでなければ個性を尊重するはできません。

to be continued …

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