言葉を使う仕事 - そのきのう・きょう・あした

取扱説明書には何ができるのだろう

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産業翻訳の世界で仕事をするようになって、いったい何年になるだろう? - そんなことを思うことがあるのですが、その間に、企業が翻訳を必要とする資料とか、シチュエーションというものがずいぶん変わってきたなと思います。

物を作って買ってもらうメーカーは、その製品といっしょに製品の使い方を説明するために取扱説明書を作ろうとしてきました(と私には思えます)が、最近になって感じるのは、どのメーカーもその取扱説明書をどうすればいいだろうと模索をしていると感じるのです。

「取扱説明書をどうすればいいだろう」の模索というのは

  • 取扱説明書の内容をどう伝えればいいだろうと
    というものから
  • 取扱説明書そのものを作らずに済ませることはできないものか
    というものまで

大きく分けると、2つの方向を見ているような気がします。

  • 伝え方
  • 作り方

の2つです。

情報を発信する者 と 発信を支援する者の間

これまでも何度か、言葉を変えて産業翻訳のことを書いてきました。

  • 「正確に伝える」ということを追いかけて、用語や文章・文体の統一性を求めたり、
  • 翻訳の作業効率と精度を高めるために、原文の統一性や精度を高めることを求めたり、
  • PC や Windows の発達といっしょに作業方法をアナログからデジタルに変換したり…

そうしたこれまでの変化を経由して、今の、「取扱説明書をどうすればいいだろう」という視点があるのです。

Windows が世界の標準のように扱われるようになった時代、産業翻訳の作業速度は10倍以上になったでしょうか?
私もシステムを構築するためにプログラムにも取り組みましたが、1年、2年という時間をかけて10か月かかっていた工程を最終的には1か月を切るところまで短縮したのです。

言い換えれば、産業翻訳というのはそれほど、手作業で行うものだったとも言えるのです。

10か月もの時間はどうして必要だったのか? それを考えてみると、取扱説明書の役割りのコアの部分 - そもそも、何のために取扱説明書を作っているのか - が残っているんだな、ということが分かるのです。しかもその役割り(コアの部分)も少しずつ変化しようとしている。

使う人に使い方を伝えるはずのものだった取扱説明書が、使い方以上のもの - たとえば、その製品の魅力や使い心地のようなもの - まで伝えようとしはじめているのを感じるのです。

産業翻訳の世界にいて一番強く思うことは、翻訳をする者 - 情報発信を支援する者 - が、製品にこめられた思いから遠いところにいるということです。もしかするとそれは産業翻訳がはじまったときから変わっていないのかも知れません。

翻訳業者は、翻訳をする以上、製品を知っていてあたり前!! という、私に言わせればちょっと間違った「アウトソーシング擁護論」があって、翻訳を必要とする人たちは、こんなふうに伝えたいということを翻訳者に伝えようとはしません。

翻訳者の方も、こういう表現でいいですか? と確認しなくてはいけないことが分かっているのに、それを聞こうとするとプロとしての技量を疑われる?? という、おかしなところに話しがずれてしまうことを怖れるという、これもまたちょっと困った症状になることもあります。

産業翻訳の仲間になろうとする人たちに

取扱説明書の伝え方、作り方が変わりつつある…
つまり、翻訳を必要とする原文も変化している - そんなふうに、長年、産業翻訳という世界にいて、その方向性に戸惑いさえ感じたり、AIのように、自分たちの仕事の将来が不安になるような材料もある中でも、新しく、自分の言語力を翻訳に活かしたいと考えて産業翻訳界の扉をたたく新人がいます。

そんな人たちとの間にも接点を持っていると、もしかすると、産業翻訳界の現状を正確に伝えることも自分たちの仕事なのかも知れないと感じます。

どんな翻訳がメーカーにとって必要なのか - それを知ることがよい翻訳には欠かせないと考えるとすれば、よい翻訳と認められるものを作るために産業翻訳の姿を知り、そこで求められているもの - 翻訳 - のあたり前の品質を知ることが欠かせないと思うからです。

伝え方 と 作り方 は表裏一体だろうと思います。

もしかすると、どんなメーカーも、iPhone のように取扱説明書なしで使える製品を目指しているのかも知れません。そのとき、iPhone そのものに組み込まれている説明書は本当になくなるなんていうことになるのかも知れません - そんなことになるわけがない! とは誰にも言えないように感じるのです。

ただそのとき、産業翻訳もなくなっているかというと、どうもそうは思えないのです。

物を作る、その物を製品として届けるというメーカーがあって、
そのメーカーはユーザーのために製品を作っているという姿勢が変わらないとすれば、製品を伝えるということは多分なくならないだろうと感じます。

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製品が自分で自分を伝えるという時代になったとしても…。

私自身、何年も前になりますが、「アイデアは必ず実現できる。それがデジタルの力だ」といいながらプログラムをしていました。だから、今、心配したり想像していることはすべて可能なことばかりなのだろうと思うのです。

だからこそ新しい仲間には、そうした産業界と産業翻訳で求められるものの今を、正確に伝えてあげなくてはいけないのではないかと感じるのです。

 

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