思いを伝えることの大事さ - それが素顔のままの自分でいられるかを決めるのです

夫婦の間に言葉はいらない⁇

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これはあくまで今 60代になっている、そんな世代の人たちのことなんだろうなとは思うのですが…

NHKの『60歳のラブレター』という著書の中で語られていた「今さらよう言わん…」という言葉。
その言葉で思い出すのは、夫婦の間の気持ちを言おうとした母の言葉です。

母はこう言ったのです。
「日本の男性は自分の女房に向かって、好きだとか愛しているとか、ありがとうといことさえ言おうとしない人がほとんどだ」と。

実はこの言葉、私に言わせれば、女房殿と旦那さんの両方に対して言えることなんだけどなと、思ってはいたのですが…。

とかく私たちの話というのは家庭の中でも、仕事における業務連絡よろしく、あれやらなくちゃ、これやらなくちゃという、日常生活の中でのしなくちゃを伝え合い、あれやった、こうなったと報告し合って終わりにしていることがとても多い気がするのです。

だから、大事に思っているとか、ましてや愛しているなんて言葉は出番がないのです。出番がないまま、何年も何十年も過ごしてしまったりするのですね。ただ、自分たちの至らなさを誰かのせいにしたいとは思わないと言いながら、育てられたことない子猫は親猫にはなれない… とどこかで教わった気がしているのも事実です。

それは逆から言えば…
私たちの両親がそんなだから、私たち自身も、思いを伝えることがあまり上手じゃない。私たちはみんな親猫になれない子猫なんでしょうか?^^; ということは、私の子どもたちもそういう親になっていくということでしょうか?

たぶん、今の世代の - 平成生まれの? - 人たちは、旦那さんも奥さんも、互いに気持ちを伝えあえるようになっているんじゃないのかな⁇ と思うのですが、私たちの世代には、

男は多くを語らないもの

というようなところがあって、結果的に親猫になれない子猫なのかもしれないとも感じるのです。

ただそうは言っても、日常の生活の中のあれやらなくちゃ、これやらなくちゃの中でも、ほんとうは業務報告? - 必要なこと以外話さない⁈ みたいな偏った感覚では困るなぁと思います。

もちろん、かなり意識して頑張らないといけないのかも知れませんが、

あれやらなくちゃ…

というとき

忙しい中わざわざ時間を割くのは大変だけど、頼むね… と言えたらな、と思うのです。
その「頼むね」の言葉に「助かるよ」の思いを乗せることができれば、あれやらなくちゃが、ふたりで暮らしを作っている… そんなやりがいのようなものを持ってもらえるのです。

この「頼むね」が言えているか - 実はこの言葉に限らず、自分の思いをその思いどおり言葉にすることってむずかしいのです。

だから、「今さらよう言わん…」ということになるし、私の母が言ったような、「日本の男性は…」ということになりますね^^;

言いたくても言わせない⁈

よく似たこと - というか反対のことと言うべきか - は、職場にもありますね。

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この仕事はわざわざ◯◯さんにやらせるようなことでないから私(たち)がやりますよ… というケースです。

この職場の例も「今さらよう言わん…」とよう似ていて、言葉にするなら「(言わなくても)分かっているよね…」に近い感覚がどこかに働いているような気がします。◯◯さんがごく自然に、そのことを自分でやろうとしていたとすればなおさらはっきりするでしょう。

夫婦の間の「今さらよう言わん…」も、職場の「(言わなくても)分かっているよね…」も、善意から出たものだのだろうと思いますが、善意から出たものにもそれなりの力 - 拘束力のようなもの - がある… そのことが意識できたら、思いやりも一人前になったと言えるんじゃないかと思うのです。

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