変わるということが成長につながるようにするには?

大切にするべきは、自分自身

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私には、

好きこそものの上手なれ
What one likes, one will do well.

という言葉の意味を教えられたり、自分の特性を活かして生きていくんだよとかいう言葉に、「ああそういうものなんだな」と感じて自分には何ができるだろうと見回してみたり、自分のことを考えてみたりした思い出があります。

今思えばずいぶん単純で、分かりやすいというか素直だったというか^^; よくぞ言われた通りにしようと思っていたものだと思います。ただ、どうものんびりした性格だったのか、あまり深刻なものではなかったようにも思うのですが^^;

あまり深刻ではなかった - 思いつめた悩みではなかった - 割には、進学だとか、進路という言葉にぶつかる時期にはいつでも自分には何があっているだろうかと考えていたのですから、それが私の思考パターンなのでしょうね。

do not be panic, that's ok
(c) Can Stock Photo

「好き」を仕事にするということの意味

「好き」を仕事にするという言葉がありますが、みなさんはどう思われますか?

教わったそのままだったとお話ししたように、私は、寝ても覚めてもそのことばかり考えているとか、普段の生活がそのことを中心に回っているというものがあればそのことが仕事になったらいいのだろうなと思っていました。

学校の科目に得意不得意があるのは誰にもあることだろうし、これと言った長所や特技があるようには思えない。自分で取り柄と思えるのは手先が器用なこと程度かな? という感じ?? とそんな感じでした。
だからということもないのでしょうが、目が覚めてから夜寝るまでの間、息をするくらい自然に取り組めることがないだろうかと考えたりしたものです。

天職か、適職か

「自分をかける」と言えば少し大げさかとは思いますが、仕事は生涯続けていくものという感覚があったのです。

  • 企業は社会を支え回転させている
  • その企業で働くということはさまざまな形で社会に貢献するということ
  • そのためには自分の力を十分に発揮することが望ましい
  • 自分の力を十分に発揮するためにも、自信を持って取り組める仕事に就くことが望ましい

そんなことが言われていたものでした。終身雇用や年功序列もそうした説明の中に意味のあるものとして組み込まれていたものです。

その意味ある仕組み、意味ある組織制度と説明されていた終身雇用や年功序列はなくなったと言われる今の時代、企業の存在意義はどこへいっただろう? 自分を確かめ、自分を実現する場だと言われていた職場がなくなったのだとしたら、私たち - 特に古い仕組みから移り住んできた者 - は何を思って仕事をしているのだろう? と思ったりします。

天職という言葉はごく限られた世界で使われるもので、私たち多くの者は適職に巡り合うことが大切だということになるのでしょうか?

私たちが認識しなくてはいけないのはたぶん、企業と同じ目線なのです。企業というより、その企業を率いている一握りの人たちと、と言うべきかも知れません。
その人たちが、社会を、世界を、あるいは会社のレベルかも知れません、どちらへ導こうとしているのか - その意識をしっかり感じられる企業かどうかという目線です。

私が昔持っていた職業観というのは、トップダウンです。
社会が、企業が求める自分であろうする - そんな形で自分という存在価値を探していたのです。

けれど今は、企業と同じ目線、つまり企業の意志を待たずに自分をオファーできるか、自分を活かせる会社かという意識が必要なのです。対抗ではありません、より対等な関係です。

企業理念という言葉あります。社長、あるいは代表者の方の信条、目標と言えば分かりやすいでしょう。
その理念を説明できる社長に会えたとしたら、自分はその理念を理解できるか、その理念に賛同できるか、そういう目線を養うのです。

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まったく別の言い方になりますが、かつての私のように言われるがままではちょっと残念です。

また逆の言い方をすれば、これから社会に出ようとする人や、今社会を支えている現役世代(特に30代、40代の人たちに)企業と同じ高さの目線を持ってもらえるようにすることで会社という組織は元気が出るのですよ。
ということは・・・

自分の適性を探していた「何がしたいのだろう」「何ができるだろう」のいい意味での探求心がほしいのです。

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