言葉は厳しくて、悩ましくて、優しいもの

日本語ってむずかしいでしょうか?

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世界には数え切れないほどたくさんの言語があって、違う言語同士が違うまま直接話しをしたいと思ってもお互い何を言っているのか通じないのが普通なのに、その違う言語同士、よくぞこれだけ同じことを表す言葉があるものだと関心したり、面白いと思ったりすることがあるのですが、みなさんはどうですか?

私の場合、違う言語の間に同じ部分があるのを見つけるのが面白くて今の翻訳という仕事に就いたようなところがあるのですが、辞書を引くようにしながら、置き換えた言葉を並べただけでは伝わらないものがある ー そんな、翻訳業駆け出しの頃に教わったことを最近になって聞かされたり、相談されたりすることが増えています。

how do you train your capability of translation
(c) Can Stock Photo / shmeljov

Google翻訳のようなアプリを使ったり、見たりしていると、人工知能にかけてきた人間の英知は、こんなふうに集約して完全な完成とは言えないとしても十分役に立てることができるものなんだなと思ったりします。そしてその一方で、翻訳 - 別の言葉を話す人にひとつのことを伝えるという作業は、辞書どおりの置き換え連結が良い場合とダメな場合があるということを認識しなおしたりもするのです。

数字やメジャーのように示すことはできないのですが、Google翻訳の今の完成度がどのくらいのレベルなのかを感じることができると言ってもいいかも知れません。

私個人は、Google翻訳のような技術もきっと、私たち人間が「誰が書いたのか」を意識させないほどに進化するのだろうし、ある意味、今のレベルでも十分に使えるケースもあると思っているのですが、Google翻訳の今の完成度を日本語として違和感なく使えるレベルかと考えてみると、単純にYESとは言いにくいケースが多々あります。

言い換えると、Google翻訳のような技術が今の完成度でいてくれるからまだ、私たち人間の翻訳者が仕事をさせてもらう余地があるのだろうなと考えたりもするのです。

意味と文法だけではなりたたない、言葉が表すもの

言葉の意味としては問題はない、文法的にどうかと検証してもそうおかしなところがあるわけではない。なのに「いい翻訳とは言えない」と言われる文章ができあがるというのは、何だかとても不思議です。ただ、不思議だけれど当たり前でもある、それが言葉の悩ましいところでしょう。
義務教育で最初に習った中に I have an apple. なんていう文章がありましたが、それをどう訳すのが「正しい」かということになると、正解を出せる人は多分いないだろうと思うのです。I が「私」なのか、「あたし」なのか、「ぼく」なのか、はたまた「わし」なのか - 日本語で自分を指す言葉はまだまだ数えきれないほどありますから。

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要するに、言葉は使われる場面、使う人によって意味合い、ニュアンスがいかようにでも変化するのですから、ぼくはリンゴを持っています。とだけ聞かされると(読まされると)何とも言えない不自然さを感じるわけです。

日本語らしいからしくないか。読みやすい日本語かどうか - そんな、読む人ひとりひとりみんな違うだろうと思わざるを得ない命題、「より良い日本語を」にどう応えるか、応えることができるか。

私の仕事もまだ少し、やりがいを感じて取り組めそうです。

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