もしものときには

日常の中に潜んでいるからこそ 「もしものとき」なのです

私が見舞われた症状は、自分一人ではすぐには助けを呼ぶこともできないものでした。後になってよく考えてみれば、その病状だけで生命に関わるようなものではなかったのですが、何をどうすればその症状から逃れることができるのか分からないという状況が一人のときに起こったとすると、ちょっと途方にくれますね。

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不祝儀のマナー - 正しい・正しくないをちゃんと覚えたい

核家族化が原因なのか、あるいは理由がほかにあるのかよくわかりませんが、葬儀の作法というようなものは何が・どうすることが正しいか、分からないなと思うこと、ありませんか? 私には「過渡期」を生きているなと感じることが多いような気がしているのですが、伯父を送るいとこの話しを聞いて余計にそんな気持ちが強くしています。

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実家の整理_生活用品の整理をするならば

終活 - 家族の物、自分の物

見送る側、相続する側を経験するとすぐに直面するのは耐久消費財とライフライン、その運用に必要な金銭管理 - これは言わば生活の基盤になるもので、手続きは基本的に直接血のつながった親族が相続するものです。相続のために必要な手続きも、その親族が行うことを前提として成り立っているものと考えればよいでしょう。

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そのとき私たちは自分の生命とどう向き合えるだろう

インフォームドコンセントを考えた記事の中でも綴ったように、がんを告知するかしないかという選択肢はもう過去のもの!? と思ってしまうほど、すんなりと “ステージで言えばいくつだからできるだけ早く手術しないといけないね…” と診断結果を聞かされたのも、がんが特別な病気ではなくなっていることの現れなのかも知れないとも思ったものでした。

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終活! と構えずに、部屋のかたずけの延長のようにいかないものか

両親が残したもので手元に残せるものは写真やアルバムだけにして、その整理を少しずつ進めていこうとしているのですが、自分にはどんな宿題があったんだったかな⁈ と思いながらリストを見なおしながら…
そうした整理を日常生活と両立させることって意外とむずかしいなぁと思っています。

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