生活を見直す、自分を変える - もっと自然にできてたでしょ?

これから先の生活って?

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“消えた年金” の問題以降、自分の年金記録は大丈夫なのだろうかとか、いくつからどれくらいの年金がもらえるのだろうという疑問からはじまって、”年金を払っている” という意識もその金額に対する意識も以前よりずいぶん高まっているように思います。

ただ、それじゃ、年金について何をどれくらい理解しているだろうとあらためて自問自答してみると、その中身はかなりあやしい^^; ように思います。

国民年金、厚生年金、共済年金、国民健康保険は公的なもの。サラリーマンなどが入る健康保険組合や介護保険、雇用保険などの社会保険も公的なもの。公的なものは強制加入が原則です。

(中略)

サラリーマンは毎月の保険料が給料から天引きされているので税金のように思っている方も多いのですが、あくまでも保険制度の恩恵を受けるための保険料だということを忘れないでください。何のためにお金を払っていて、自分がどんなときに、どのような恩恵を受けられるのかを確認しておきたいものです。
なぜなら、保険というものは自ら制度のことを知っておいて、必要なときに自分から請求をしないと、何の恩恵(お金をもらうこと)もありません。向こうから、いろいろと調べてくれて自動的にお金を払ってくれることはありません。

出典:佐藤 治彦氏・「普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話 (扶桑社新書)

そうです。公的なものは強制加入が原則 - それは十分認識しているつもりです。

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(c) Can Stock Photo / Kurhan

会社は人を雇い入れ、人は会社を通して社会に貢献する。年功序列、年功賃金は年齢ごとの役割りを区切った社会観があって、より若く、元気に働ける年齢ほど、高齢の先輩たちを支えなければいけない - そんな感覚の中で強制加入を捉えていたものです。

仕事に就くということを常識のように捉えた互いの社会観があって成り立っていた強制加入だった - そう思うのです。サラリーマンは毎月の保険料を天引きされるという重さを社会の一員だという感覚に置き換えていたのです。

ただ、何のためにお金を払っていて、それがどう自分のためになるのかという点になると、観念的な責任論だけで具体的な中身(手続きなど)はちゃんと理解できていたとは言えそうもありません。そして、保険料は会社を通して天引きされてきたのだからという感覚が自分都合の安心感になってしまって、受給も自動的に・・・? のような感覚になってしまっていないかと確認し直さなくてはいけないように思うのです。

もちろんそれは、年金の現状からみた「結果論」じゃないの!? という疑問があることは承知しています。

そして、果たして私の両親などはどうだったろうかと思ったりもします。

それでなくても、私たちの感覚はどうも楽な方楽な方へと固着しようとするところがあるような気がします。
子どもが所帯を持って独立し、自分の世帯はひとまわり、ふたまわりと構成が小さくなるころには、今でも健在? な年功賃金の仕組みによって収入は小さく(仕事も小さく)なっていきます。50歳、55歳、60歳と年齢を重ねる節目節目でその傾向を身をもって感じさせられるわけですから、自然と身辺整理も進みそうなものですが・・。

自分の身の丈に合ったサイズに生活を見直していこうとしながらも、そうした頭で分かっている部分に感覚がイマイチついてこないと感じることもあるのです。

電気料金や水道料金、食費や医療費の節約からはじまって、携帯電話のパッケージ料金、生命保険の見直し、時には自家用車のサイズを小さくして重量税や燃料費などを見直したり。

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そうした財布のひもの締め直しをしながらも、それまで慣れ親しんだ生活のパターンとか、肌触りのようなものを変えることに、なんとはなしにしっくりこない感じを持ったりするのです。

けれど、このなんとはなしに・・が曲者です。
かつて、結婚し、子どもが生まれ、子どもが進学し・・・と懸命に対応してきたことを思い出せば、その逆もまた自分たちの生活に欠かせない対応であることに間違いはないはずです。

老け込んだその感覚にもう少し活を入れなくてはいけませんよね^^;

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