ひとつひとつ、具体的な準備をするには
送られるのが自分のときには何が起こるだろう - 両親を送った経験があるだけに実際をシミュレーションするように思いめぐらしてみると、家族の誰にどんなことが求められ、どんな手続きをしてもらわなければならないのか、どんな準備ができそうなかがずいぶん具体的に分かるものです。
エンディングノートは多くが項目別にデザインされています。
- 預金口座や口座自動引き落とし
- 不動産やその他の資産
- 保険や年金
- デジタル資産
など、相続や名義変更などの事務手続き、行政手続きを必要とする(あるいは必要とするものを含んでいる可能性がある)ものから
- 葬儀やお墓
- 医療や介護
など、自分のQuality of Lifeに寄ったものまで、よくぞこれだけたくさんの項目があるものだと感心します。
逆の言い方をするならば、仕事を持ち、自宅を持って暮らすためにはこれほどたくさんの契約、手続き、情報管理を必要とするということ。たとえば、わが子も結婚し、所帯を持っているとするとそうした生活に必要な事情というものをそれなりに経験したり、理解してくれていることが多いので相続やあとの整理に必要な手続きなども比較的むずかしさがなく進められるような気もするのですが・・・。
身辺整理や終活の必要性を感じるようになる自分の年齢がたとえば50から55歳ほどだとして、たとえば子どもが30歳前後で結婚していたとしたら - 自分の終活だけを中心に考えてしまうのであれば精神力も体力も望ましいタイミングなのかも知れませんね。
ただ、子どもの家庭を見て、30歳前後の頃の生活がどんなものだったか思い起こさない親はいないようにも思います。
あるいは、子どもがまだ学生であるとか、就職して間もないというほどに若いとすれば、自分の終活の相談相手にするのはためらわれる - ためらわれるというより、その対象として意識することはないということになるかも知れません。

より具体的に備えをはじめるために
緊急度、複雑さ、必要性を考えて
身辺整理や終活というものに取り組もうと思ったとしても、家族構成や家族との距離感をはじめ、自分がどんな価値観を持っているかによって当然のことながらその捉え方、進め方は大きく異なることでしょう。
ただ、どんな項目をどんなふうに、どんな順序でと考えてきた私が思っているのは、連れ合い - 家内 - のための準備が最優先なのだろうということです。
健康に不都合なく、自然に過ごして行けたとすれば、そして願わくば年齢の順に - 私の方が年上ですから - 最後を迎えることになるのであればというところからはじめて、必要な項目を時系列で並べて整理してみようと思うのです。
もし大切な家族を亡くしたとしたら・・・と確認したときのように、葬儀のためにはまずこれを確認して、あれを決めてと時間の流れを意識しながらシミュレーションしてみようと思うのです。
大変なことは私が喪主を務めたときと変わらないはず。たぶん大変なのは、葬儀を終えた後からだろうと思うのです。第三者の手助けを頼むとしても、安心して過ごせるようになるまでに必要な手続きはずいぶんたくさんあります。その要不要を含めて、後始末をしてくれる苦労に思いを巡らしながらまとめることができれば私の終活はひと段落 - あくまで私にとっては、ですが。
健康に問題があったなら
そのあとは健康に不都合や心配があった場合の生活に必要なことです。
かかりつけ医や自分の健康についての履歴、医療や介護に対する考え方や持っている保険契約の内容、給付金 - 特に私がいなくなってからの生命保険の支払い申請に必要なことなど。
ToDOリストを作るような感覚? で自分の最後を考えているように思うのですが、これはきっと男の発想。たぶんそれは間違いないでしょう。それは逆から言えば、男の責任の取り方とも言えるような気もするのですが、どんなことを考えているのかを折に触れて伝えながら、けれど普段はそんな重くなりがちな話しを二の次にして、大切に思う気持ちを伝え続けなくてはいけいないだろうと思います。
それを忘れずに、まずは相続からはじめてみようと思います。
to be continued …