そしてもう一つのQuality Of Life

安心や幸せの感じ方はひとりひとり違う

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もしかすると私の先入観かも知れませんが、医療でQuality Of Lifeという言葉が使われる状況は病状がとても切迫しているか、あるいはそうなる恐れが高い時というイメージがあります。

そして、介護の世界ではどうでしょうか。病とか加齢による体力、知力の低下、あるいは差し迫った環境も決して自分とかけ離れた世界の物語ではないのだということを確かめたいのですが・・・。

介護サービスの経験

母に付き添って私が経験したのは、医療と介護の両方に助けを求める状況でした。
終末期の痛みを和らげてもらう緩和ケアは医療、食事をはじめ、望めば外出するとか旅行に行くとかの希望をかなえてもらったり、入浴や排泄の介助といった普段の生活に必要な支援は介護 - そんなふうに。

心の介護

医療は身体を、介護は普段の生活とその安心を支えてくれる - そんなことを感じていたように思うのですが、では病気や生命に向き合う、心はどう支えることができただろうかというと、こんなふうに•••と自信持って言えることができていたような気がしないというのが正直なところです。

もちろん、病院にも、患者や家族の精神面を支えようとしてくれる部門があり、スタッフが揃っている。そうした人たちのアドバイスや時間をかりて、不安や恐怖など普段は吐き出すことのむずかしい、簡単には軽くすることのできない思いを整理する手助けをしてもらったこともありました。

Quality_of_Lifeはあなたと私のためのもの
(c) Can Stock Photo

そうした経験で学んだことは、胸にある思いを包み隠さず言葉にすること、聞いてもらうこと、そして意見やアドバイスをもらうことが、とてもとても大事なのだということ。
ところがその一方、普段よく分かっているつもりのこの「話す」ということが、状況が切迫するまでなかなかできないということもあるのです。

患者本人にとっては、診察、治療に耐える体力に苦しむこともあるでしょうし、自分の境遇を受け入れることのむずかしさに苦しむこともあるでしょう。
家族の側もまた、病や治療の進行に対応するための判断を求められたり、数々の手続きを行っては疲れた身体を休めるだけで精一杯になってしまったり、「話す」ことが安心ではなくて、大きなストレスになってしまう場合があるからです。

感じ方、安心や苦痛の質は、患者と家族の人数の分だけ違うのです。

もう一つのQuality Of Life - それは付き添う家族のために

心の平穏は自分でも保つように頑張らなくてはなりません。ちょうど身体が、薬に助けを借りて病と闘うように。そしてそれは患者も付き添う者も変わりがありません。

患者となった家族や大切な人を支える - それは付き添う側にとってはごく自然で当然のことですが、ややもすれば看病疲れで付き添う側が体調を崩すこともある。付き添う側は患者が痛みに苦しんでいるとしても、”変わってやることはできない”、 “そばにいてやることしかできない” という想いで自分を責めることさえあります。

だから、付き添う側の心と身体のバランスをもう一つのQuality Of Lifeとして忘れないでいてあげることが必要だろうと思うのです。付き添う者の心と身体のバランスが取れなくなっては、患者を支えることはできないと思うからです。

付き添う者自身が自分の身体や心の声を感じた時、身体を休めたり、話し相手を求めたりして自分を慰めることを忘れないでほしいと思うのです。

患者の病状が切迫したり、自分の中にある心配が大きい時ほど付き添う者の神経は力を出して自分を支えようとします。自分で意識するしないに関わらず。

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健康で、心にも身体にも力があるときに自分の終末とか介護とかを考えておきたいと思う理由もそこにあります。自分を支えようと、自分の意識の如何に関わらず力を出そうとしている心は、ややもすると柔らかさがなくなってしまうことがあるような気がするのです。覚悟のような硬いもので覆われてしまうからでしょうか。

できることならば、患者と自分、そして自分のそばにいる人たちに向ける目を忘れないでいられたらと思います。その心が一番強く、患者を支えらるのではないかと感じるのです。

To be continued…

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