簡単に答えの出ないもの、だからこそ愛おしいもの

本当に大切なものは?

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人に対する優しさとか、自分を支えることができる強さとか、どれほどたくさんの言葉を読んでも、経験にかなうものはないとも言います。

けれど、経験の中で何をどう受け止めることができるのかは、どれほどたくさんの言葉に触れているか - 自分の中に自分の気持ちや信じることができるものを持てているかによっても決まるものだと思います。言葉だけでは理解できない経験も、言葉との出会いによってその意味が変わってくることがあるのだと思うのです。

こうしたたくさんの言葉に出会えるということ、そこに語られているを重ねることができるあれこれの経験を積んできた年齢になったというが、囚われず、縛られない自分に出会えるかどうかのヒントを作り出してくれないだろうかと自分に期待したりしています。

how important to pray for ourself

(c) Can Stock Photo / lightkeeper

私たちはどこで死ぬかわかりません。

(中略)

どこで亡くなるにせよ、私たちは人間です。どこで死んだのかというその状況に違いはありません。だからどこで死のうと、自分は自分なのだという気持ちをいつも持っていてください。
同時に看取るという視点も大切です。
自宅だろうと病院だろうと、この世に別れを告げる時に誰かが一緒にいてくれれば言うことはありません。最後を共有できるよう身内の方々もきっと心されているでしょう。

さらりと語るその言葉の意味はよく分かるけれど、その実際に向き合ってみないと、自分や自分の心の置きどころが見つけられるかどうか分からない - そんなふうに感じるのが普通のように思います。それは、「自分は自分なのだという気持ちをいつも持っていてください」という矢作さんの言葉が、”ああそうだね” と軽やかに切り替えるものではないという、直感のようなものが働いてしまうのが原因のように思います。

けれど、その気持ちに到達することが簡単ではないというは矢作さん自身もよく分かった上でこの言葉を綴っているのだなということが感じられます。

私たちは、すぐに答えを出さなければいけいないと思いがちです。でも答えは、出すものではなく「出るもの」だと私は感じています。

(中略)

今は何でもスピード重視の時代です。それが全部悪いわけではありませんが、早く答えを出さなくてはいけないと、誰もが見えない感情に支配されているように思えます。答えを早く出さないと時代についていけない、取り残されてしまうという恐怖心です。
そもそも、そんな恐怖心を持つ必要はどこにもありません。時代のスピード感は、どこかの誰かが自己利益のために勝手に作り出しているものです。

(中略)

急くことはない、焦ることもない。答えは出すものではなく出るものです。

分からないこと、簡単には答えが得られないという状態に不安(不安定さ)を感じ、その不安に耐えることができないほど、私たちは自分で立っていることができなくなっている - 普段私はそう感じているのですが、矢作さんの言葉もよく似たことを言おうとしているのではないだろうかと感じます。

看護する側、される側という立場であっても、看取る側、看取られる側という状況であっても、受け入れる以外選択の余地がないことがあるということは分かっている。

だからこそ、恐れることなくあるがままを受け入れていいのだと矢作さんは言います。分からないことを分かることで恐れをなくしたいと思うのが私たちの常、分かることが正しいことと感じるのが私たちの常ですが、そんなに力まなくてはいいのだと。

矢作さんが感じていることを同じように感じたり、経験することはできないでしょう。ただ、少なくとも、私たちは自分の手で自分の心や目に望まないフィルターをかけてしまっていることは自覚しなくてはいけないように感じます。

生きることの意味は簡単に答えが出るものではないと思います。たぶんそれは言うまでもないことなのです。
たぶんそれは、死生観などという言葉や意識さえ忘れて、今を感じることで自然と心に芽生えてくる落ち着いた気持ちなのだろうと感じます。

私の言葉で言うとすれば・・・
相手を思う気持ちや、たとえば夕陽を見送りながら、今日も一日を過ごしたなという気持ち。虫の声さえいつの間にか聞こえなくなって、桜の木が紅葉をはじめていることに気がつく心。
そんなところに生きることの自分なりの意味を見つけることができる - そんなふうに言えるでしょうか。

それでもやっぱり分からないことは分からないという感覚がすべてなくなるわけではありません。でも確かに私の中にも、分かろうとしなくていい、という言葉があります。

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分からないことが相手に対する気持ちを変えてしまったり、今日という日の満足を感じることを邪魔すると思えたとしても、その受け止め方、感じ方の違いは分からないことではなく、別のことが原因だと感じるようになってきたからです。

自分に当てはめてみると多分よく分かります。
自分をあるがままに受け止めてほしいという思いがある。
それなのに、相手を受け止めることに時間がかかることに耐えられない。結果的に、相手に対してレッテルを貼って終わりにすることがあっても違和感を感じることなく済ませてしまっていないだろうか、と。

自分がそう扱われるということはたぶん許さないはずなのに - そんな残念な面が自分の中にはないだろうかと考えてみるのです。
簡単に答えが出ないもの、だからこそ大切で愛おしいものが分からなくなっていないか、と。そうすることで、自分が本当に恐れているものが分かってくる、そう思うのです。

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