暮らしの大切さはどこにあるかな?
簡単に答えの出ない問題は後回しにしがち、なりがちですが、自分たちの生きがいとかやりがいとかにつながるようなアプローチはできないものだろうか - そんなふうに感じることが結構多いと感じませんか?
アレルギー性の喘息を持ったりしているものですから、私は普段から病院の支援を仰ぎながら生活しているという面があるのですが、今日も定期検査の順番を待ちながらこんな一節に出会いました。
介護をしながら育児も担う女性の存在は以前からあったものの、急速に政治課題になった背景について、山下講師は「働き方や男女の平等、介護保険・保育制度、少子化など、現代の様々な問題を内包しているからだ」と指摘する。
山下講師は今後の課題として、介護や育児のサービスが連携することに加え、男女がともに介護と育児に関われるような柔軟な働き方が必要だと考えている。ダブルケアでは女性に負担が偏りがちで、「長時間労働を抑制し、男性も介護や育児を担う仕組みが必要だ」と話す。
朝日新聞出版、「日本で老いて死ぬということ―2025年、老人「医療・介護」崩壊で何が起こるか」より
そこでふと、”職場”、”プレイング・マネージャー”という言葉を思い出しました。
自分の妻がダブルケアを支えてくれているとしたら、自分にはどんなことができるだろう。なぜ、女性に負担がいってしまうだろうと考えたのです。
サラリーマンならイメージしやすい「プレイング・マネージャー」の意味
職場でプレイング・マネージャーという言葉を聞いたり、使ったりするようになったのはバブル期のあとあたりからだったでしょうか? あるいはその時期、たまたま私の職歴・年齢が重なったということで、ずっと以前からあった立場だったでしょうか?
プレイング・マネージャー - 言い換えれば、選手兼任コーチとか選手兼任監督。つまり、管理者としての責任を果たしながら現場の実務もこなすという役割ですが、長いことその一人二役、あるいはそれ以上? を求められてきた経験から思うのは、一人二役、三役というのはそんなに簡単なものではないということです。
その複雑さ、男の頭には仕事の現場を思い出すとイメージしやすいように思います。
実務に対応する担当の役割りだけを考えても、たとえば [製造] (どんな製品を作るか)の [機能] に取り組むか、[サービス] に取り組むかで分担は変わってくるでしょう。しかも、プレイング・マネージャーとなれば、たとえば [製造][機能] の [デザイン] だけでなく、その実務の [経済性] [コンプライアンス] など企業の必要性に合わせた判断と実行を求められます。
つまり、概観とはいってもこのチャートに描かれていない部分をカバーするのが管理職の仕事なのです。
家事を軽んじているわけではないのに
この仕事の話しからは、えらく飛躍するように感じるはずですが、家事はどうでしょう? 仕事をイメージしたのと同じようにエレメントを2つに限定してみると・・・
個人的には 「家事」と一絡げ、一言で済ませていて本当にいいのだろうか? と感じます。まして、家事を仕事の下に置こうとする風潮があるように感じるだけに危機感があるのです。
問題は「ダブルケアでは女性に負担が偏りがち」だという点です。
ダブルケアと一言に聞こえますが、このレポートを読めば、そこに語られている女性が家事・育児・介護という大きく分けても3つ以上の仕事をこなしていることが分かります。ですから、トリプルケアでありフォースケアと呼ばなくてはいけないはずなのです。
その上、外での仕事をこなしながらのダブルケアだと言うのですから、私たちは普段から、分担する・分かち合うということの意味や自分たちの生活の仕方そのものをよくよく見直しておかなくてはいけないと感じるのです。
MEMO:
介護にしてもダブルケアにしても「家」の中のことだから「家事」であり、「仕事」とは比較にならないという発想はよしましょう。仕事に上下の貴賤がないのと同じように、自分たちの生活を守るという意味でなくていいものはないはずですから。