父の大腿骨骨折から学んだ心がまえ

症状や治療をどこまで意識できているだろうか

スポンサードリンク
大腿骨骨折の手術

大腿骨骨折に見舞われた父親は救急搬送した先の病院で手術を受けました。

その症状は正確に言えば大腿骨頸部骨折。骨盤とのつなぎ目にあたる場所で大腿骨は丸い形をしていますが(骨頭)、その骨頭の下は細くくびれています。そのくびれた部分(頸部)が折れたのが父親の症状でした。手術は折れた頸部と骨頭を人工頭骨に入れ替える方法で行われました。

高齢者にしばしば見られる転倒が原因で起こる大腿骨骨折は、その後、立つこと歩くことができなくなったり、寝たきりになる要因になることが多い。そうした後の心配を軽減する意味でも、85歳を超えていた父親の年齢、手術と術後の回復に要する時間を少しでも短くできるようにという判断から選択した方法だという説明を受けました。

家族が心がけるべきインフォームド・コンセントのあり方
心がまえを確認する
(c) Can Stock Photo

この説明を受けた時点で私たちが持った感覚には、父親を「寝たきり」にしてしまってはいけないというもので、「寝たきり」になった父親を支えるための負担、特に母親と自分たち兄妹が負わなくてはならない負担に対する危機感の方が大きかったのではないかと思います。

あえて言えば少なくとも家族の側には、父親が万一寝たきりになってしまったとしても、こうすれば母親の負担を軽くしながら父親の日常を守ることができる、自分たち兄妹が十分には手を尽くせないことがあるとしても、ああすればカバーしてもらえる - 危機感だけではなくて、そんな予備知識があったなら、入院中にしてもリハビリへの取り組みにしても、退院してからの支援の求め方もずいぶん違っていたのだろうなと思うのです。

これから大がかりな手術を受けようとする時点で、「万一」のときの話しはできるはずもないでしょう。手術やその後の回復のための治療やリハビリに取り組む気力がそがれてしまいます。
父親のときのように、患者本人が 「家に帰りたい」という思いに憑りつかれたようにせん妄の症状を強くしてしまっては手術も治療も思うように進められるはずもありません。マイナスの情報が心理的なプレッシャーとなってしまわないとも限りません。

受けとめ、対応する精神力が鍵になるのだろうなとは思うのですが、少なくとも家族は、どこかのタイミングでそんな「万一」を避けるという意味で、「万一」の症状になったときにはどんな対応が選択肢にあるかという話しを、病院や医師とする勇気が必要なのだと感じています。

手術をするか否か。この術式で良いかどうか - それだけが医療ではない。その先の日常 - 大袈裟かも知れませんが、その先のQOL(Quarity Of Life クオリティ・オブ・ライフ)につながりかねないという危機を認識するタイミングがあるのです。父の大腿骨骨折の経験で思うのは、あの手術数日前の診断を説明してもらったときと、せん妄の発症を医師、家族が認識したとき、そして退院をするときがそのタイミングだったということなのです。

退院についても患者や家族の側 - 特に家族 - にとってはインフォームド・コンセントが必要です。

各病院にはそれぞれの役割り、逆の言い方をすれば、認可された医療範囲というものがあってそれを超える処置や処方(入院期間の延長などには限界があるということ)をすることができない - 入院時点の治療方針と計画を達成するところまでがその限界なのだ、というのが退院のとき病院から受けた説明でした。

これは、患者本人の治療や回復をどう図っていくかという入院のときの話しとはまったく別の話しです。入院させておくには限界があるから退院が必要だが、在宅と通院でリハビリを続けることができる - その説明も同じです。

  • 大腿骨骨折という症状と父親の年齢を考えればリハビリをうまく進めて、寝たきりになることを防ぐ必要がある。
  • 寝たきりになるということにはどんなリスクがあるのか。
  • そして、父親のパーソナリティを考慮して、どんな働きかけ方をすればリハビリをうまく進めることができるか。
  • そのための支援を受けたり、相談することができる場所があるのか。

そんな、リハビリを進めてくれる理学療法士の守備範囲を超えた意識や確認、対策が必要だったのが私の父の場合だったのです。

眼に見える形で進んでいた老化

そうした意識や確認、対策があったなら、私の父はそれなりにリハビリに取り組み、骨折を起こしたころのレベルまで歩けるようになったかと言えばそれは分かりません。

そもそも、それより前の段階から、普段の買い物でさえ外に出たがらなくなっていたのですから、はっきり言ってしまえばその頃からもう、体を動かそうという意欲の大部分が失われていたのです。ですから、いかにリハビリを頑張れていたとしてもそれ以上になるということは望むべくもなかったはずなのです。

にも関わらず、寝たきりになってしまうかも知れないという危機感に押され、リハビリに取り組んでほしいと望む周囲の家族の側には、骨折以前のまたそれより前のレベルにまで戻れるのではないかというイメージがどこかにあったような気がしてなりません。

私たち家族は、父親が外に出たがらず、横になっている方がいいと言うようになった時点で、父親の老化がまた一段進んでしまったということを認識していることが必要だったのでしょう。
老化は「意欲が減退する」という形で現れる説明されることがありますが、実際には「自分は行かずに待っている」という言葉がその症状だったのです。

スポンサードリンク

リウマチであるが故に体を起こしたり、体を移動させるのが大変なのだろう - そんな思いやりは良いとしても、その父親の状態が何を意味しているのかに思いを巡らせることができなかったのです。

「年寄りの肺炎は命取りになりかねない」 と言いますが、「動くのが大変なんだよね」という思いやりの中で心肺の機能低下が進んでいた - そう感じるのです。その心肺機能の低下を決定的にしたのが、大腿骨骨折だったのです。「人工頭骨は足の動かし方を間違えると脱臼しやすい」、だからその危険を避けるためにもリハビリで新しい間接になれてほしい - その説明が患者本人の恐怖をあおってしまった、だから、家族の思いに反して父親はリハビリどころか、自分で動こうとすることも嫌がるようになった・・・悪循環がさらにマイナスに働いたようにも感じるのです。

結果論かも知れません。ですから、マイナスに過去を振り返ろうとは思いません。少なくとも、学んだことがあるのですから。

スポンサードリンク

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。