終活の大切さは分かってきたけれど
少し前のことですが、テレビ番組「世界一受けたい授業」で「終活」がとりあげられた回がありましたが、みなさんご覧になっただでしょうか?
今ではみんなの合言葉のようになってきた感のある終活。残された家族がどれほど大変な思いをするかに配慮し、やるべきことをやっておくべきだという内容でしたね。
- 遺品をどう整理するか
- 作成し提出すべき書類が多いこと
- 親戚や友人などどんな人たちに連絡すべきかが判断し切れないこと
- 遺影用の写真がないこと
- 葬儀をどこに頼むべきか判断がむずかしいこと
の5つが、遺族が困る項目の上位5項目だと紹介されていました。エンディングノートに必要なことをまとめる方法が終活を進める一番のお勧めの方法だとも。
だからこそ、今という時間のQuality of Lifeとのバランスを
私も終活というカテゴリーまで設けて記事を書いていますが、それは、終活は、「とにかくやらなければならないものと認識してやればよい」とだけ言えるものではないと感じているからです。
自分の両親を、たとえば、自ら喪主として見送った経験を持つ人にとって終末期というのは生身に感じる現実のものです。頭では分かっているという漠然としたものではなく、胸に手をあてれば鼓動を感じるように、自分の時間も確かに終末に向かっているという実感を伴ったものだと思います。
髪が薄くなる、ほうれい線が深くなる、白髪が増える - 「そんなことは年を取れば誰でも同じなんだから」というだけでは自分を納得させることがむずかしい、自分という生命が受け入れることを拒んでいると言ってもいいほどの生身の問題だということもあるのです。
一定以上に年齢を重ねていれば、生理的には健康診断で要精密検査の診察を受ける回数、項目が増えているでしょうし、定期的な運動を心掛けなくてはと前向きに取り組む思いと背中合わせのところには、自分の心と体はいつまでこうして自分の思いに応えてくれるだろうという恐れが潜んでいることもあります。
そうした恐れを理解できればこそ、自分で考え、決め、行動できる今、終活という名の勇気がほしいと思うのです。その勇気はあくまで初めの一歩です。始めましたね、では、さあ終わらせましょう! というほど話しは簡単ではないからです。意識しただけで胸が悪くなるほどのストレスを感じるもの - 生きている者にとって、終末期とはそんな重い一面があるのです。
悲しいことに、簡単ではないということが分かっているけれど、さりとて、立ち止まっていれば時間だけが確実に過ぎてしまう - それこそ、誰もが分かっていることだから、終活の必要性への理解とストレスの板挟みになりかねないのです。
番組の中では仏壇のお焚き上げによる供養なども含め、7人がかりで5時間、30万円ほどの費用で実家の整理ができるという例が紹介されていました。
私が取った見積りの中には有に60万円を超え、1日では終わらないというものがありましたから、こうした実例をテレビで紹介してくれることは私たちにとって、とてもありがたいことだと思います。
こうした例を力に変えて私たちは前に進むことができると思います。
けれど、終活には実は、自分一人だけでは進められないという現実もあります。最後は必ず、誰かに助けてもらわなければならないのですから。
実際の終活も、子どもさんたちの - 親御さんを思う、よかれと思う心情から出る意見やアドバイス、支援もあるでしょう。だからこそ、ストレスに見舞われるのです。
終末期のがん患者となった母に付き添った時のことを思い出すほどに、そうしたストレスの見舞われることがあるかも知れないと思いながらも終活に取り組もう、終活を進めようとする親御さんがいたなら、そのお父さん、お母さんの今というQuality of Lifeを守ってあげてほしい - そんな優しさを忘れないでほしいのです。
そして、終活に取り組もうとする私たち自身が、勇気とマイペースを忘れないでいてほしいと思うのです。