もう一度向き合いたい Quality Of Life
本人の意思が固く、家族も理解しているのならば…
そんな言葉を交わして、義母と主治医の話しは、人工透析は受けない という義母の意思を伝えて終わったと言います。
およそ1ヶ月前、主治医が示してくれた選択肢、その短い方の残り時間を選んだ義母は、やはり潔い覚悟の人です。
私たち子どもは、その想いと覚悟をそのままに受けとめて実現できるように心と力を合わせなくてはいけないと感じます。
治療と回復を期待した QOL
私の母ががん切除の手術を受けたとき、母本人にとっての QOL (Quality Of Life) は、
- 回復を望み期待しながら、術後をいかに無事に過ごし、回復するか
ということと - 抗がん剤や放射線治療の副作用にどう耐えられるか
のふたつでした。

ところが、手術を終え、数日の経過が良好だからと退院したあと、本人にとってはとてもじゃないが回復しているとは思えないほど、体に感じる違和感が強く辛い日々が続いたのです。
特に、甲状腺の切除手術のあとがとても大変そうでした。
QOL を本当に考えるのであれば、手術 = 回復 という公式は必ずしも成り立たないということをもっとよく確かめ、理解しておかなくてはいけなかったのだなと感じたのはその頃です。
麻酔にしても、手術そのものにしても危険がないとは言えない。文字通り、万が一というような確率で万一のことが起こらない保証はないと説明は受けますし、どんな目的でどんな方法の手術をするかの説明も受けますが、手術を受けるのはそもそも治療のため - つまり、回復するのだという暗黙の期待があるからなのですね。
疑うことなく 回復 を思うからこそ手術を受けることを選び、QOL を高めたいと望むのはごく自然なことのように思います。
思うように快適な健康状態に近づくことができない辛さはあったけれど、母が目指したかったのは 回復 につながる QOL だったと言えるように思うのです。
苦しみのない、おだやかな最期を望む QOL (Quality Of Life)
義母は、痛い・苦しい生活は嫌だと、人工透析を受けない意思は固く変わることがないと言ったようです。
慢性状態の腎不全と診断されている義母は、これからは体調が少しずつ悪くなる… そんな覚悟は心に決めているのだと言います。
静かに、おだやかに最期を迎えさせてやることはできるのか -
そもそも、そういう考え方自体を理解してもらえない人もいることだろうとは思いますが、至らないところがあるだろうとも思うけれど、個人の、人としての尊厳を守ることにできる限り心を砕き、力を尽くせたら… と思う私は義母にとっての Quality Of Life を思わずにはいられません。
私たち子どもからああしたほうがいいとか、こうするべきだと言うことがいいとは思いません。
こうしてあれやこれやと思いめぐらしていることを感じさせないように、いつもどおりに接してあげなくてはと思うのです。
そして、その義母を私より近い心で見ている妻やその姉弟の思いに寄り添ってあげなくてはいけないと思います。
かつての私がそうだったように、「保護者」として義母を守れるのはその子どもたちなのですから。