忘れがちな父の日? に思う、自分はどんな父親になれているかな?

父の姿 と 変わってきた結婚観

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いつでも手の届くところにいて抱きしめる優しさ - それが母親の優しさ?
仕事で外にいることが多くて、いつでもそばに・・・というわけにはいかない父親の優しさは、離れたところから見守る優しさ?

こんな母親、父親でありたい、父親であればいいのかな? と思い描いているイメージは、当然のことながら私が持っている家族観や夫婦観からきているのだろうなと思うのですが、そうした感覚はもう古くなっているのでしょうね。

妻も夫と同じように仕事を持ち、朝、子どもを保育園に預けに行くのは夫の役割。妻の仕事の予定が変われば、連絡を取り合って今日は夫が子どもを保育園に迎えに行く - たとえばそんなふうに頑張っている若い仕事仲間の様子を見るにつけ、家族観、結婚観というものが育っている - 変化しているというのではなく、成長している、たくましくなっていると表現したくなるような変わり方をしているのだなと感じるのです。

What do you think on farther's day?父の日に振り返るのは?

父を亡くしてから考えても詮無いことだろうと思います。父を亡くしてから思い出すのであれば、自分はどんな息子だったろうかと振り返るべきなのかも知れませんが、父の日ってどんな日だったのかを確認しながら - 父の生前、自分は父の日に父をどんなふうに思っていただろうかと考えたりしています。

父の日ってこんな日だったんだよ教えてくれるこんな記事がありました。

1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。

Wikipedia ”父の日” より

ソノラという娘の父親はどんな人だったろうと思いませんか? 6人兄妹で唯一の女の子で、16歳の時に母親を失った子だったと言います。きっと母親代わりに兄妹や父親の世話をして過ごしたのではないかと思うのですが、その彼女の目に父親はどんなふうに映っていたのでしょう。

父の日に父をどんなふうに思っていただろうかという思いは、自分は自分で思い描いていた父親になれているだろうかという思いにつながっている気がします。

父を亡くしてから思う父の日は、父親としての自分を反省する日になっているのかも知れません。

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何より今の私たちが持っている父親像は、家族を守るもの、家族は黙って父親の意に従うもの -ではなくなっているように思います。なぜかその前では頭が上がらない存在 - 父親はもうそういうものではなくなっている。よくよく思い出してみると、父の日は部屋着やお酒をプレゼントして、その日は家でゆっくり過ごしてもらえるようになんて思っていたような気がするのですが、父親自身がそういうイメージを変えてきている時代なのだなと感じるのです。

父の日に自分で選ぶとしたらどんなプレゼント? そんな方向から考えてみるのも、自分の中の父親観、家族観 - どんな父親でいたいと思っているのかが分かるような気がするのですが、どうしょう?^^

ちょっと考え見ると面白いかも知れませんね。

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