支えることができるのは家族と患者自身

インフォームド・コンセントは患者本人のためにある

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自分の身体に何が起こっているのかをちゃんと理解したい - たび重なる手術のあと、結果的に余命宣告を受けることになった日の前日も母はそんなことを言って、その日聞かされた手術の経緯とそのあとの検査結果についての説明を、自分に分かるようにもう一度話してほしいと求めてきました。

腎臓からの転移による病巣の詳細が分かり、胃と小腸をバイパスでつなぐ手術を受けたあと、その後の治療に関する話しをしたいと主治医が声をかけてくれた時のことです。

患者にとって大切なこととは

病気になったということに患者自身はどう向かい合おうとするか - 家族として患者を支えようとするときには、患者本人は何を大切だと考えているのかを十分に理解しておかなくてはなりません。たとえば、

  • 病気そのものをはっきりと意識し、自分の病状を含め病気のことをよく知り、理解することで病気に向かい合おうとするか
  • 病気そのものではなく、病気とは別のことに意識や力を傾けることで病気に対応する体力や精神力を維持しようとするか

それは、どちらがいいとか悪いとかという類のものではありません。どちらが大切であっても不思議なことではなく、あるいはさらに別の姿勢があってもそれが患者本人にとって大切、自然なことであれば否やはないのです。病気だから、患者だからではなく、です。

ただその時の話しはゆっくり時間をかけた、長い話しになりました。これほど複雑な話しをしっかり理解することができるだろうかと思いながら、一問一答、母の質問に答えるようにして、できる限り言葉を噛み砕き、しかし隠しごとがないようにと時間をかけて話しをしたのでした。特に、私自身の主観が混じらないように。

たとえ理解するのに時間がかかっても、本人には理解し、判断する力があると判断したからこその話しでしたが、よくぞこれほどと感じるほど理解することが大変そうでしたし、時間をかけた話しだったのです。

インフォームド・コンセントは患者本人のためのもの。しかし、そのインフォームド・コンセントを履行できるようにと望んだとしても、患者本人にその力が残っていないこともあり得る - それは、付き添う家族が常に忘れてはいけない、あるいは忘れることのできないことなのです。

寄り添い支えることができたなら
(c) Can Stock Photo
病状の進行の中で理解力・判断力を維持できるか

またそれほどに、いのちに関わる状況で向き合わなければならない状況は当然のことながら複雑です

  • 確認された病巣そのものは十二指腸の裏側から膵臓、肝臓の一部に向かって血管やリンパ節を巻き込むように成長している
  • がんそのものはもう取り除けない
  • がんそのものへの手術は危険が大きすぎる
  • 十二指腸への浸潤が出血(下血と吐血)の原因でだった
  • 食べ物が通過しようとすることで十二指腸の傷を大きくしかねないので胃から小腸へのバイパス手術を受けた
  • 手術のあと、できれば投薬による治療を勧めたいと主治医が話していた

そんな項目を要点として、一問一答を進める中で母は

  • がんそのものが治療を望むことはできなくなりつつあることは理解できるが、
  • 主治医が勧めてくれる投薬が、いわゆる抗がん剤治療であれば受けたいとは思わない

そんな意味合いのことを言って、話しに対する理解度とそのことにどう向き合おうと思うかという自分の意思を伝えてくれました。そしてさらに、母にとって何より大切だった 「余命」 のことを尋ねるか尋ねないかが、その時の話しの最後の話題になりました。

  • なぜ転移したのか、そして
  • 今の症状はどれほど重いのかが分かったのであれば、
  • そのあとの薬による治療にどんな意味があるのか

それが母の最大の関心事だったのです。

何より、母(患者)の治療に対する希望

手の施しようがないと言われるような状態になったとしたら、それ以上の治療は延命のための処置になるのだろう。その自分の理解に誤りがないのであれば - 回復の見込みのない治療は(治療も投薬も)受けたくはない -

というものだったからです。

2年弱という闘病の時間はもちろん、それ以前から折に触れて、いのちを前にしたとき何を大切だと思うか - そんな話しをしようとしてきた下地があってのことだったでしょう。また、それは母という患者にとって、病気を真正面から理解し対応しようとすることが自然だったからできたことでもあったのです。

インフォームド・コンセントは患者本人の問題だが•••

死というものを意識して、あるいはその不安や恐怖を少なからず感じながら自分にとってのベストの治療を選択する - そのための話しをすることは、インフォームド・コンセントは患者本人のものだとはいうものの、家族にとっては心を鬼にしなければ伝えることができないということもあります。家族にとっては本意ではないと感じることもあるかも知れません。

家族だからしっかり支えることができるということがある反面、家族だから患者の意思が分からなく - 見えなく - なることもあるのです。

あまりにも当然と思うのに、その実現がとてもむずかしい、それがインフォームド・コンセントというものでもあるのです。

・・・必要なことは受けなければなりませんが、やはり自分に納得ができないと、良い医療とは主ません。そこで、検査や薬や手術のような行為の良い面と悪い面をきちんと納得できるまで医師から説明を受け、選ぶことのできる方法を自分で比較できて、確かに必要であると納得できるものを選択するようにします。選ぶ方法の良い面と悪い面をあらかじめ知るからこそ、自分が決め、医師に同意してその実施をお願いすることができるのです。

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阪大医学生が書いた やさしい「がん」の教科書 みんなに伝えたい正しい知識、大切なこと (PHP文庫)』の中、インフォームド・コンセントの意味を語った大阪のある医師の方が語った言葉として紹介されている一節です。

健康な心と身体で過ごすことができているとしたら、そのときこそ考え、話し合ってみたいと思うのです。一番大切な家族に伝えておきたいと感じるです。
患者になった時、どうしてほしいと思うのかを。

To be continued…

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