戸籍はどこにあるべきだろう - それが問題なのです
親が亡くなれば自然発生的に発生する相続という権利と責任。
相続ひとつひとつの手続きを進めるには、自分がどこの誰なのか、親とどんな関係の人間なのかを証明しなくてはなりません。
自分を証明しようとするなら、運転免許証か保険証、住民票、手間がかかるものと言っても戸籍謄本か戸籍抄本 があればよい… 私はそんなふうに思っていました。特に戸籍謄本(抄本)は自分を証明してくれる書類として最終にして最も確実なものと思っていたのです。
ところが、親が亡くなるとその意味合い - 手順 - がちょっと変わってきますね。「身分証明」という私たちが普段持っているイメージは、親が元気でいるときのものだと言ってもいいでしょう。
だから -
自分の家族が今の私の立場に立ったとして… を考え、本籍地をどうすべきだろうかと考えています。
戸籍が必要になった実際の相続の場面というのは?
電気・ガス・水道というライフラインから、新聞・電話などなど、実家の暮らしを続けるために必要なものは、金融機関に開設して持っていた口座からの料金引き落としによって手にしている - それは誰にとっても言うまでもない常識なのですが…
親が亡くなったとなれば、たとえば -
- 死亡届を役場に提出し
- 除籍謄本を発行してもらって(名義人の親が亡くなったことを証明するために)
- 口座解約の申請をし
- 実家を維持する(=ライフラインの提供を受け続ける)のであれば
電気・ガス・水道それぞれの契約名義人を自分に切り替える申請をする
相続人としてそんな一連の手続きを取らなくてはなりませんね。
この 「3. 口座解約の申請」で求められたのが
- 親の改製原戸籍
- 親の除籍謄本
- 私の戸籍謄本
- 私の住民票
でした。
私の名義のもの(口座)ではなく、両親(最後は母でしたが)の名義のものでしたから、私がまちがいなく相続人だという、両親との関係を証明するように求められたわけです。

MEMO:
金融機関の口座名義の変更に限らず、(全部ではありませんが)親の資産のひとつひとつ - 不動産の相続や生命保険料の支払いなど - について、相続ではこれとほぼ同じ証明を求められる言っていいと思います。
結果、住民票以外は戸籍が保管されている自治体の必要としている戸籍を管理している市町村の然るべき部署に問い合わせなければ - 発行を申請しなければ - なりませんでした。
改製原戸籍ではっきり分かる戸籍の意味
特に改製原戸籍は親(被相続人)の本籍地がどう移動してきたかを確認しながら、それぞれの市町村から取り寄せるのです。
- 父の結婚前の本籍地
- 母の結婚前の本籍地
- 両親が結婚してからの本籍地
をたどる - つまり、両親それぞれの出生から死亡までの記録をたどろうとするのが改製原戸籍+除籍謄本です。
なぜ本籍地に悩むのか
一言で言えば、家族という単位で考えると、本籍の問題は私ひとりの問題ではないからです。
戸籍が保管されている市町村あるいは区が本籍地。そして、この本籍地というのは変更が自由にでき、日本の国内で地番があるところいう以外のしばりもありません。
その意味で、私は結婚のとき、自分の両親が暮らしている場所を自分の出所を証明する場所という感覚で、両親が住む実家の住所を本籍地として届けました。
今でも、その土地は私の両親が住み、私たち子どもを育て独立させてくれた場所という意味は変わっていないという感覚が残っています。ところが、私はその感覚を共有するようにと、家内や子どもに求めたことはありません。
相続という手続きには血縁という歴史をたどる手続きが必要になる。ところが、そのストーリーをスムースにたどれるのは被相続人(私の両親)vs. 相続人(私)の間だからこそだろうと感じたのです。
そのストーリーをたどる負担は、私の実家とは違う場所に住み続け、私の両親と思いを共有することが少なかった家内や子どもに求めることはできない - そう感じたから実家も人手に渡したのでした。
私たち子どもを育て独立させてくれた両親が生きた場所 - その大切さと、私が今日を家族と過ごしている場所、少なくとも子どもは住み続けるかも知れない場所 - その大切さのどちらを取るかが悩みなのです。どこにあってもいいと言ってしまっては身も蓋もありませんが、本籍地は言ってみれば、私の心のふるさとみたいなものだけの意味しか持たないとも言えるように感じているのです。
ところが実生活、特に相続ような究極の必要性のときに実生活に影響を及ぼしてくる -
しかも、今日の実生活のために… と実家住所から現住所の場所に転籍をしたとすれば、
私の家族は私の改製原戸籍が必要となったとき、確認を申請する自治体がひとつ増えることになるのでしょう。
まずは、私自身のもしもノートの記述を正確にしながら、転籍の相談をしなくてはと思います。