忘れたころにやってくる?! - そんなことになるまえに

きょう、この瞬間を感じるとき

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母が甲状腺のがんにかかっている - その治療のための検査として母はPET*検査を受けました。
その結果、大腸と腎臓にがんの病巣があるらしいということが分かり、さらにいくつかの検査を受け、結果としてMRIだったか、CTだったかの画像を見せられたとき - 正確には、検査の結果を聞きに行ったとき - なぜかその時は、母はこれから先、治療に専念しなければいけないなという思いが漠然と頭に浮かんでいたように思います。

MEMO:
*: Positron Emission Tomographyを略してPET。陽電子放射断層撮影という言葉があてられています。がん細胞は自分を維持するために正常な細胞の3倍から8倍のぶどう糖を取り込むそうで、その性質を利用してがんを探す技術です。暗い画面の中にぶどう糖が集まっている箇所が明るく映ります。

「あなたの余命は半年です 」 。

そう宣告されたら 、あなたはなにをしますか ?
いまの会社をやめますか ?
続けますか ?
いまやっていることで 、そのまま続けるものはなんですか ?
逆に 、やめるものはなんですか ?

では 、明日死ぬとしたら 、なにをしますか ?

出典:ひすいこたろう 氏著・「あした死ぬかもよ?」

あのとき、”このまま病状が進めば、(母の)余命はあと何年です…” と宣告されたとしたら、私は母の死というものを予感したのだろうか、そんなふうに思います。

大学病院ということもあったからだったのでしょうか? あるいは、がんの宣告 というものを私が知っているように神経質には扱わない時世になっていたからなのか分かりませんが、命というような重いものを感じさせることなく、医師の話しは「治療」と明確に発音しないけれど、治療を前提にしたような雰囲気で進みました。

そのせいかどうか自分自身でもはっきりしませんが、「やはりそうなのか」と感じながらも、私は、母の翌日からの暮らしを考えていたように思います。

どんなふうに治療をつづけていけるだろう…
母が住む実家から50km近く離れて暮らしている私は、実家に移り住んで母のそばにいるべきだろうか・それが実際にできるだろうか?…
そんなあれこれを考えていたように思います。

不治の病 - そんな切羽詰まったものを感じていたはずですが、その先の暮らしが何かの形で続くものだと思っていたように感じます。

突然だった訃報

ただ不思議なものです。

叔父の訃報は突然にもたらされました。知らせをくれたのは遠く、東北に住む従兄でしたが、瞬間的にその従兄の母君に何かあったのか!? と直感したほどでした。

その叔父からの年賀状を受け取ってから10日とたっていないときにふれた訃報でした。
しかも、あとで聞いてみると、亡くなってから数日間たって見つかったとか。

叔父の兄妹(私の叔母)は、大晦日の少し前に電話で話しをしたばかりだったと言い、電話ごしにもショックを隠せない様子だったと言います。

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私の母のときのように、”あした死ぬかもよ?” と言われても少しもおかしくない人が闘病という時間を過ごさなくてはならなくなったかと思えば、健康に気をつけなくてはねと言っては笑って世間ばなしをしていた人が突然いなくなってしまう… その叔父の葬儀に参列しながら、本当に人の命の次の瞬間は分からないものなんだなと感じました。

ひすいこたろうさんはこんな言葉も綴っています。

この世界のただひとつの真実は、「生まれたら死ぬ」ということです。
だから、死が不幸ではない。
生きていることが奇跡なんです。
生きている今日という1日が奇跡なのです。

と。

 

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