いのちを支える理想と現実

ホスピスという言葉が表すものと、その言葉に期待するもの

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矢作直樹さんの著書「「いのち」が喜ぶ生き方」の中、「QOLを支える医療サポート」と題した章にこんな言葉があります。

よく「日本の医療業界にはホスピスがない」という話も耳にします。ホスピスという言葉は聞いたことがあると思いますが、終末期のケアを行う施設です。もともとは一九六〇年代にイギリスで始まり、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアあんどのキリスト教文化圏の国々から世界中に広間まりました。

(中略)

終末期のケアはすでに必要とされているのに、なぜ日本で進まないのか? そこには二つの理由があります。経営(金と人の両面)、撤退否定意識の二つです。

この一節を読んだとき、ゴルフ場でコース管理の仕事をしていた当時に出会った、グリーンキーパーの仕事とは何かを語ったアメリカのゴルフ関係者が書いた文章を読んだときに感じたものを思い出しました。

where the sunshine arrives
(c) Can Stock Photo / threeart

ゴルフ場というものの姿形、その雰囲気や人々が持つイメージは似ているようなのに、アメリカと日本のゴルフ場とかグリーンキーパーという仕事に求められるもの、あるいは評価がずいぶん違うのだなと感じたのです。

私が読んだのはアメリカで発行されたゴルフを扱ったマガジンでした。

アメリカで言う”カントリークラブ”と呼ばれるゴルフ場は、はじめにゴルフ場ありきではなく、一握りの有志が集まり金を出し合って自分たちのリクリエーションのための場としてゴルフ場を作ったのがはじまりだった。
自分たちで金を出す分、コースの作り方にも、維持・管理にも随所にメンバーのこだわりが活かされ、そのノウハウが今のグリーンキーパーの仕事に集約しているだ -
そんな内容の記事でした。

そこに語られていることを足掛かりにして、今自分が働いているのはカントリークラブではなくて、株式会社なんだっけなということに気がついたときにはちょっとショックというか、仕事の目標をどこに持てばいいだろうと思ったものです。

メンバーと呼ばれる人たちから会費を集めているが、その会費は芝を買ったり機械をメンテナンスするためのものではなく、メンバーそれぞれがプレーする権利を確保するためのものです。

私は10年に近い時間をそのゴルフ場で過ごしましたが、メンバーの人たちがどんな花を楽しみにしているか、今年のグリーンのでき具合をどう感じているかという話しはついぞ聞くことはありませんでした。
そんなものを拠り所に仕事をしたいと感じる若い作業員だったのです。

母は終末ケアを支援してくれる施設で亡くなりました。積極的な治療ができなくなったがん患者の痛みを和らげ、亡くなる直前までより穏やかに思い通りの生活を続けられるように支援してくれることを目標にした施設です。

その施設を紹介してくれたがんセンターも、その施設の人たちもそこをホスピスとは読んでいませんでした。ただ、そこが母の最期の場所になるのだろうという怖れや覚悟を持っていた私は、素人感覚でそこがホスピスなんだと感じていました。

医療の専門家と介護の専門家がいて、がん患者の日常と非日常 - 食事や入浴、散歩や買い物を助けてくれ、万一の出血や体調の急変に対応してくれる、そうした安心の中で痛みや怖れを和らげてもらいながら最期を待つことができる場所、それがホスピスというところだと思っていたのです。

そのイメージを確認するためにも、施設長の医師や看護師、介護を助けてくれる人たちと話しをしたり、何を求めることができ何ができないのかといったことを自分なりにずいぶん学びました。
そのときに思い出したのが “カントリークラブ” という言葉、ゴルフ場の現実を確認しようと思いをめぐらしたときの感覚でした。

現実のホスピスには確かに安心と、私たちが怖れといっしょにイメージしていた通りの静かな最期がありました。ただ、そうした施設の支援に支払うお金はいかんせん、高額です。

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母が支援してもらった施設に巡り合う前、医療施設をはじめいくつかの施設を見学し、話しを聞いていましたが、1ヶ月50万円という金額を示されても驚くにはあたらないというほど高額なところばかりでした。当時の母がそうだったように、年金を頼りに暮らしている患者に単純に払える額ではないのです。

矢作さんが語られている「経営(金と人の両面)」とは意味が違うのかも知れません。
けれど、この記事の冒頭に紹介した一節を読んだとき、ホスピスというものに期待したイメージに現実がしっかり重なってくれた安堵感といっしょに、医療+介護は医療以上にお金で利用するものだということを確認した現実、そして、ホスピスを作ったイギリスの人たちはどんな思いだっただろうという思いとが入り混じったのです。

よい仕組みだからこそ普及させたいと努力する人がいる。その仕組みを作ったエネルギーや情熱、優しさといったものを受け継ぐためにもお金が必要なんだ - 分かっていながら、切なさを感じないわけにはいかない、そんな気がするのです。

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