終活 - 「いくらかけられるか」から始める介護へのアプローチ

介護保険の意味と両親の体

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ありのままの自分でいられること、一番自然な自分でいられる場所、心のあり方を見つけること、それが自分探しで目指すものなのだろうなと感じているのですが、そうやって自分探しをするときのことを思うと、生活とか暮らし向きとかいうものまで、すべてが自分と向き合うことと同じなのだなと感じます。

私の両親はともに介護認定を受けていました。ですから介護申請やケアプランの作成、介護保険の申請と利用といった一連の手続きを知り、経験もしてきました。父は介護ベットや車いす、テーブルや椅子といった日常生活に必要な補助装備を使っていましたし、簡単なリフォームで浴室やトイレ周りの改造もしていました。

母のときにも、がんセンター(医療)と普段の生活をつなぐ看護を含めた介護保険の利用の契約を取ってがんセンターからの退院を待っていました。

けれど両親のいずれの場合も、私自身は正確には、介護と言えることをしたことはないと言うべきだろうと思っています。つまり、寝起きや食事、入浴や排泄といった、両親の日常生活の基本的なところに直接触れたことはなかったのです。

父は体の移動を支えてもらう必要はあったものの、入浴もトイレも曲がりなりにも自分のことをやる力はかすかに残っていましたし、そうした介助を母以外にやらせようとしないくらい、精神力もありました。

母はがんセンターへの往復や検査・手術の際には私やすぐ下の妹が付き添うことが多いほかは、食事や入浴、トイレといった日常生活の基本はすべて自分でこなしていました。自分や妹が買った紙おむつを夜眠っている間の安心のためにと、自分で使っていました。そして買い物と料理は私の妻や妹たちが交代で手伝い、家の周りのこと(庭の掃除や雪対策など)は私が行うという形で母への付き添いを実現していたのです。

父とは治療や退院に必要な思いを共有することができないまま別れることになってしまいましたし、母は、介護による生活を始めようとする前日に私が自分の手でがんセンターへ運ばざるを得ない状態になってしまったのでした。

you have to know what you can do
(c) Can Stock Photo

介護と介助、医療に支えられて知った介護保険と費用のこと

私が介護保険と医療保険、そして親の経済力を意識することになったのは、母への余命宣告のおよそ2か月前。それまでは比較的順調かと思っていた腎臓がんが転移している疑いがあるという診断を聞いたときでした。

検査を受け、診断を聞くごとに状況は悪くなる - そんな感覚を持ったとき、いつまで続くかはっきりとしない病院との往復、どこまで希望を持っていいのかはっきりとしない治療や日常の暮らしをどう支えることができるだろうかという疑問だけがはっきりしてくるのでした。

母の病状に対する不安と、母、そして自分たち子どもの生活を両立する方法を考えなくてはならないという責任感、それに自分たちの経済力といったたくさんの課題や不安に対する意識が強くなっていったのです。

今でもはっきり覚えているのは、「できないことはしてやりたくてもできない、だからこそ、できることはなんでもしてやろう」と思っていたことです。普通であれば「(親の願いを実現するために)できる限りのことをしてやりたい」と考えるだろうと思います。しかし、私は上限を設けていたのです。

自分に逃げ道を用意していたのかと言われそうですが、確かに “逃げ” が必要だという感覚もありました。実際にはやらない、いないということは1つとしてなかったわけで、時間や距離、経済力の面でも必要なものには対応するのが「保護者」としての責任だと思っていましたから、その “逃げ” を利用しない・利用できないことが分かっていたのです。

ただ、現実的には、この上限を設けることは親の側に必要なことだと思っています。
自分の両親に向かって投げかけることではなく、その両親を見て学んだものだからこそ、自分の子どもを意識して、自分で覚えておきたいという意味です。

せん妄の症状が出てしまえば自分のことを自分で正しく判断することはできなくなる - 母がそう話してくれたのですが - とすれば、自分で自分を判断できる限りは、ということになるのでしょうが、

介護にかかる費用の内訳は、介護そのものにかかる「介護費」、病気によっても変わりますが「医療費」、食事や家賃、光熱費などの「生活費」、そのほかには、たとえばマッサージ代やオムツ代、移動の際の交通費などがあります。

出典:e-BOOK 宝島社・『大人のおしゃれ手帖特別編集 親の看取り (e-MOOK)

つまり、その「介護費」、「医療費」、「生活費」こそ、それ以前に自分で切り盛りしていた生活の延長で必要になるものですから、自分の財布からどこまで賄えるかを意識しておきたいと感じるのです。

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自分の財布で賄える範囲の生活、医療、そして介護。もちろん、必要・可能な範囲でどんな支援を受けることができるのかを学んだり相談することは必要です。

ただ私と両親との間でもそうだったように

いくら親子でも、お金のことを聞き出すのは難しいかもしれません。親自身も子どもに懐事情を話すのは嫌なものでしょう。それでも、親の死後には相続も発生します。事前に話し合っておくのに越したことはありません。まずはなんでも話し合える関係づくりをめざしましょう。

そう思うのです。

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