エンディングノート - 告知や延命処置を考えて

伝えることで家族や身近な人を守る

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自分のもしもの時に備えるという意味では、

  • 告知や延命治療
  • 葬儀
  • 墓所

が一番の中心になるでしょうか。墓所のように自ら事前に準備することができたとしても、実際には自分で対処することができない、あるいは家族やそばにいてくれる人の支援を頼るであろう項目と言えそうです。

その中でも自分が重病になってしまったとしたら - 家族がその病気を、あるいは余命を自分に伝えるかどうかの判断をしなくてはならなくなることも考えられます。病気治療を進める中で、もし意識がない状態になったとすると、その対処やその後の治療をどうするかの判断を家族がしなければなりません。

状況が厳しくなるほど、自分で判断することもむずかしくなる

ひとつの例は余命宣告を受けた病状でホスピスへの転院、入所を考える場合
ホスピスとして緩和ケアを行ってくれる施設の中には、たとえば、治療の一環でも行われる輸血は行わないという方針を取っている所もあります。

ホスピスが最期をいかに迎えるかというための施設だとすると、自分の身体の状態を理解し、その施設で受けられる支援の意味を理解して入所するかどうかを判断する - もし、精神生活をしっかり送れている(認知症などの問題がない)状態だとしても、患者本人としてそうした判断をすることができるかどうかという問題があります。

特に、親であり患者であるという立場で家族がいるとすれば、その家族の一人ひとりの思をどこまで大事にするかという別の問題も出てきます。”残される子どものことを思うと” 簡単に決断を出せるものではないという心理が働いても無理はないのです。

最後の場所になるのだということを前提に、どんな支援が受け、どんな最期を迎えたいと思うか - それをホスピスへの転院、入所を必要とするタイミング、あるいはそうした状況が予測される中で自ら判断、手続きすることができるだろうか。それが、エンディングノートに告知や延命処置に対する自分の意思を記録しておくことの第1意味です。

大切にするということ
(c) Can Stock Photo
共に考え、協力してもらい、負担を和らげることができるなら

第2の意味 - それは自分に替わって医師の相談を受け、判断をしなくてはならなくなるかも知れない家族の精神的な負担を和らげるということです。

生命に関わるような症状や治療、手術などについての話しが必要になったとすると、その告知や治療方針についての話しが直接患者本人に伝えられ、患者との間で話し合われ、決められるということはまだ稀ではないかと思います。それは、いわゆるインフォームド・コンセントには、患者はもちろん家族の理解と了承、協力なしに患者が望む治療や処置ができないという考え方があるからだろうと思います。

私が経験したように、患者本人(私の母)にその場で告知が行われ、どんな手術や治療が必要になるかが説明されるという例もないこともないのでしょうが、患者本人が一人でその告知や説明に対応できる例ばかりではないだろうということは容易に想像できます。高齢の患者として、たとえば軽度でもせん妄を発症しているとすれば、自然と判断の主体は家族に求められることになるでしょう。

そうした判断の最初の部分を家族が求められたとき、延命処置に対する考え方を共有しておくことがどれほど家族の精神的な負担を和らげるかということに思いを巡らしておくのは、それこそ、心身共により健全な状態でなければできないことだろうと思います。

告知を望むかどうか - それもインフォームド・コンセントに含まれていてほしいと思いますが、
回復が望めない、死期が近いなど延命処置を必要とするような状況になったときにどう対処してもらいたいか、さらには、
告知や延命処置についての考えは、臓器提供、献体、あるいは死因を究明するための解剖についての考えもつながるものだということを思えば、記録し、できれば話し合い、考えを伝えておきたいことは少なくないと思うのです。

臓器提供、献体などについて:
  • ドナーカード(臓器移植)の有無、そのナンバー
  • アイバンクへの登録証(角膜提供)
  • 献体を登録したとすればその組織名、連絡先
    など
私の経験 - 条件と判断の実際:

母のがん闘病の末期、判断を必要とした状況は本人にはかなり複雑でした。

  • 3ヶ月の余命宣告を受け、
  • 治療を施すことができない十二指腸への転移・浸潤と出血があり、吐血、下血があり、その出血に対応する輸血を止めれば確実に死に至るという状態で、
  • がんセンター主治医の診断、条件、提案
    • “次の出血がいつ起こっても不思議はない。その出血によって死亡する恐れもあり、出血のない状態で最期を迎えることができたとしても、治療を前提とするそのがんセンターでは終末ケアを施すことはできない”
    • “自宅で過ごし、万一の時に来院、それに対処することはできる。その時に必要な輸血も施せる”
    • “致命的な出血がない状態で自宅で過ごすことができたとして、がん終末期の緩和ケアをどうするかは別に考えなくてはいけなくなる”、”そのための施設を転院先として紹介することはできる”
  • 保護者として私が相談、確認した条件
    • 緩和ケアを施してくれる施設として相談した緩和ケア病棟の費用は月50万円+介護実費
      輸血を含む医療行為が受けられ、制限のない個室生活が保障される
    • 輸血を続けられる医療施設の場合はカーテン1枚を隔てたオープンスペースで過ごす、複数の患者さんとの同室
      同室の患者さん、ナースセンターと隣接する空間で照明や機械の作動音などが途絶えない
    • 亡くなるまでの時間を過ごすことを前提とした緩和ケアの介護施設は月25万円+介護実費
      Quality Of Lifeを最重点に対応するが、輸血を治療のための医療処置と位置付けており、しないことが原則

患者本人は月数万円を支給してもらう年金生活者でしたので、どの転院の条件も選択できないと考えていました。
どれくらいの期間、助けを必要とするのか医者でさえ予測することができない状態だったことが一番のむずかしさだったのです。

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母の蓄えや保険などを調整し、介護と施設費用以外の実費を支援したり、兄妹に支援してもらいながら私が最後に選んだのは、月25万円+介護実費で支援してくれる介護施設でした。それは、

  • 私や兄妹に介護されるということを本人が良しとしなかったことがひとつ
  • いくらかかるか、いつまでかかるかという経済性がひとつ
  • その費用によっては本人に転院を承諾させることがむずかしかったということがひとつ

のバランスから出した結果でした。

少なくとも当時、母が住む環境で私が(転院の話しが具体的になってから約10日間で)探し、見学し、相談した施設は6か所。その中の介護施設としては、月30~50万円+介護実費が相場、平均と思える状況でした。

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