先送りにしてはいけない、明日のための準備

担い、守るということ

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この著書の「ダブルケア」という章に語られているのは、仕事を持ち、三人の子どもを育て、義父母(義父の要介護度は3、その後4へ)と暮らすある女性の話しです。

毎日、夕方からは息つく間もない時間が続く。午後3時ごろ、家庭用ウォーターサーバーを販売する仕事から帰り、夕飯作り。義父も食べやすいよう、和食で柔らかく煮込んだものが基本だ。義父がデイサービスから帰宅する4時半ごろ、次男三男を保育園に迎えに行く。

デイサービスで「血圧が高め」などと言われれば、子どもをおんぶして義父と病院へ。逆に子どもが発熱すれば、病気をうつさないように遠ざけた。今日実も必ず夕飯までには帰宅し、旅行は夏休みに帰省するだけ。

「つらい」と思う間もなく、毎日が過ぎていった。「まあいいや」。そうやって流し、気にしないでいられる性格だったから乗り切れたと、女性は考えている。

ほんの一部を読んでみても、その大変さは想像してあまりあるように思います。

子どもたちがインフルエンザにかかり、義父がインフルエンザにかかり、それが言えて間もなく子ども二人が肺炎を起こしたところで、義父を老人保健施設に入所させなくては無理だろうということになったといいます。それでも

義父を救急車で搬送する際、三男がインフルエンザだったことを告げると、「ぼくちゃんには責任ありませんから」と言ってくれた隊員に救われた思いがした。でも、義母に代わって施設への入所申込書類を書きながら、あふれる涙を抑えられなかった。「子どもたちの病気が原因になってしまったんじゃないだろうか。それなのに私は、じぃじを家から追い出す作業をしてるんだ・・・」

そんなふうに自分を責めたというのです。

sunlit with sunshine
写真素材ぱくたそ
自分に置き換える想像力が自分と家族を救うはず

この章を読んでいて感じるのは、「明日はわが身」という感覚をみんなで共有することが大切なのではないかということ。

子どもと両親(あるいは義父母)に挟まれた子育て中の現役世代の話しとしてではなく、たとえば私のように、両親が他界し子どもは成人、自立しつつあるというような立場であれば、次には自分がケアされる側になる日が来る - そんな意識を持つことが大切なのではないかと感じます。

子どもには迷惑をかけないように」と思うとすれば、そのための具体的な内容が必要です。「こんな時にはこうして」という「こんな時」についての想像力と、「こうして」についての実際の準備と言えばいいでしょうか。

このシミュレーションをちょっとやってみようとしただけで、大事な気づきが結構あります。
特に「こうして」の部分が実際には自分ではできない、あるいは自分一人でやるというのはあまり現実的ではなさそうだということに思い至ったりするのです。

自分の介護認定申請を自分でする?!

たとえば、介護認定の申請。
自分の介護認定を自分でするのでしょうか?

この章に登場する義父は要介護度が3から4へ上がってしまっているようですが、デイサービスを利用しているということはケアマネジャーがいるということを意味していますから、その方が申請してくれたのかもしれません。
そして、老人保健施設への入所の申請書類を書いているのは申請者本人(義父)の義理の娘です。

認知症など精神的なハンディキャップを負ってからでは、書類の作成も負担になることが想像できます。
介護サービスの利用は一種の購買契約ですから、そうしたハンディキャップがあるまま単独で契約を結ぶことはむずかしいでしょう。

寝たきりとまでいかないとしても、身体的なハンディキャップを負った状態であれば、申請のために窓口に出向くのか? ということに突き当たるでしょう - そんなところからシミュレーションが必要でしょう。

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そんなふうに、自分が介護を求めたいという状態になって、自分で申請できるだろうか⁇ と考えてみるのです。
それが「子どもには迷惑をかけないように」するための具体的な内容になるのです。

どんな老後を過ごせるのか、過ごすことになるのか - それは自分で決めるのだと現役のころのように言えるでしょうか? きっと想像しようにも想像しきれないだろうと思います。

でも、だからこその終活なのだと思うのです。「子どもには迷惑をかけたくない」と思っているのは確かなのですから。

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