認知症とは違うせん妄という症状を知っておきたい

想定内だとしても、
知らないがゆえにショックが大きいということもあるのです

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想定内の症状は思わぬところに現れる?

程度の差、個人差はあるのでしょうが、ある時期を境に人格が変わってしまったように見えるせん妄という症状に、見守る私たちはショックを感じたものですが、入院のときにも、手術に関する事前の説明や確認の中でもせん妄については言葉さえ出てくることはありませんでした

私たち兄妹は、大腿骨骨折の治療のために入院していた父に現れた症状でせん妄というものを知ったのですが、看護師や主治医からの説明は術後せん妄と呼ばれる症状があるということ、「特に高齢者の場合にはよくある症状で、一定の時期が過ぎると改善する」ということでした。

たとえば、手術前の説明と確認は、麻酔剤を使うことで起こらないとは言い切れない危険な症状、つまり

  • 全身麻酔による後遺症の発症率、
  • 緊急の事態が発生した場合の輸血の必要性、
  • 何らかのショック症状の発生率など

について行われていました。
そうした数千分の一、数万分の一の危険性は、万一起こったとなればその後の生活や生命を失いかねないものだからこそ、説明されるし手術を受ける患者本人の了解が必要なのでしょう。

tenderness to take care of delirium
(c) Can Stock Photo
もし想定内なのであれば、基本的な情報として共有することができるか

一方、せん妄にはそうした深刻な危険はないと説明されたわけではありませんが、その危険を伴うものではなく、医師たちにとっては想定内の症状だから事前説 明も事後説明もなく、私たち家族が尋ねて初めて説明されるものだったのだろうと思って過ごしていたような気がするのです。

ただ、起こり得る、想定内の症状なのであればなおのこと、家族や付き添う者が知っておくべき情報として共有し合うことがあってもいいのではないかと思うのです。

なぜならば、検査や治療に取り組んで過ごす時間にこそ、Quality of Lifeの考え方が必要ではないかという感覚もあったからです。

手術したばかりなのだから、苦痛に耐える時間があっても仕方がない、患者本人と意志の疎通ができなくなり、そのことにどれほどショックを感じたとしてもいずれ回復する症状であれば我慢して過ごす以外にないのだから??・・・
通院とか治療というのはそういうものではないだろうと思うからです。

人格が変わったようになってしまったのだけれど・・・と聞いてみると説明されるせん妄という症状は、対処すべきものではないのでしょうか。それはたぶん、発症した症状の程度によるのでしょう。

実は、私もその具体的な説明を求めずに来てしまいました。「いずれ治るものですから」という説明のあと、退院する際にも「治りましたね」という診断や説明はありませんでしたし、私の方も確認も求めずに済ましてしまったのです。

想定内なのであれば、より安心して対処したい - そのためにできることはないのか

たとえば今であれば、頻繁に耳にする「認知症」という言葉でさえ、身内や友人などごく身近なところで経験しない限り、あるのはイメージだけで、理解とは程遠いところにいるものだろうと思います。その症状や経過、その後の回復の見通しというものを「いずれ治るものですから」という説明だけで納得した気になっていたのはなぜなのだろうとも思うのです。

現に、私たち兄妹を自分の子どもとして認知できなくなっているだろうか? と思うような様子に、父親のその後の入院生活・治療やリハビリが続けられるのか、自分たちは支援を続けられるのかと、少なからず不安を感じていたにも関わらずです。

せん妄のひとつひとつの症状に、主治医の診断、対応・処置を仰いでいたとすると、主治医の時間はいくら時間があっても足りないということになりかねないでしょう。だからこそ、付き添う家族にとっての基本的な知識としてせん妄というものが、もう少し具体的な説明を含めて認知される必要があるのだろうと感じているのです。

そのこだわりは、母に現れたせん妄を見て、さらに強いものになりました。入院や手術にせん妄が起こるものという訳では決してありません。せん妄は意識障害であると言われますが、その原因も症状の度合いも千差万別です。

特に母の症状は、躁鬱病の治療で抗鬱剤を服用していた私の知人の症状に似たものだったように思います。その躁鬱病の知人は、抗鬱剤が効いてくれているときには気持ちを支えてもらえている安心感があったが、自分の言動にブレーキが効かなくなるときがあり、その症状が強い時ほどその後の気持ちへの反動が大きかったと語っていることがありました。

術後せん妄と診断された母の症状はと言えば、なぜあれほど気持ちが粗ぶっていたのか自分でもよく分からない、ただ気持ちが粗ぶっていたという自覚が残っているが、自分はいったい何を言ったのだろう、何かをやったのではないだろうかという記憶障害を含んだ不安を感じる時間がくるようでした。

当然のことながら、この次に同じような症状になったとき抑止できるかどうか分からないという恐れのようなものもあったのです。

母のせん妄は症状として私たちが気がついて以降、退院後も数か月を超えて続きました。そして、症状が徐々に軽くなるほど - つまり、通常の意識が働くようになるほど、自分の症状に対する自覚がはっきりしてきて、本人の不安や恐れ、その時に感じる自己嫌悪などの度合いも強くなったのです。

安心して患者を支えるためにも
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そうした患者本人の気持ちを家族も支えることができるように思うのですが、その家族が、せん妄という症状をよく理解できないという状況では、対処も支援も、補助もあったものではないのです。

“手術の負担が体にも心にも出てしまっているんだね。心配しなくても大丈夫、今はちょっと負担かも知れないけど体が回復するのといっしょに心も良くなるからね。どうしても辛い時は話してね・・・” と、それが本当にそうなのだろうかと思いながら、患者を安心させられるようにという言葉をかけることしかできなかったのです。

ですから、私たちの轍を踏まないように、疑問はしっかりと納得できるように説明を求めてほしいと思うのです。

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