終活 - ディレンマに負けず、生き切ることはできるだろうか

社会の事情、条件は変化しているけれど

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会社を離れたとしたらどんなふうに暮らすことができるだろうか - 私はそんな切り口で自分の将来や可能性を考えることがあるのですが、そんなときに感じていることと同じことを語っている一節に出会いました。

わたしがふしぎでならないのは、多くの男性は長きにわたって社会人として生きてきているのにどうして老後、人間関係を築くのがこんなに下手なのか、という疑問です。考えてみれば、男性の知っているのは指揮命令系統のある上下関係。利害得失のない「平場の関係」というやつが、どうやら男性には苦手なようです。

上野千鶴子 著 『おひとりさまの最期』より

ひとりの生活を支えるには人とのつながりが欠かせないが、介護されるのが母親の場合と父親の場合とで比べてみると、母親のために助けに集まってくれる人の数の方が父親に比べて圧倒的に多いという意味合いの話しがこの後に続きます。

それほどに、男性は平素の人とのつながりが稀薄だから将来のためには気をつけなさいという意味ではないかと思いますが、そうした終活を意識した対策は別としても、私たち男は自分たちの習性とも言えそうな傾向を意識しておいた方がよさそうだと思うのです

進む道の行方は
(c) Can Stock Photo

上野氏の言葉にある 「指揮命令系統のある上下関係」 というのは男性の感覚に言わせると「拠り所となる共通の約束事」と言えそうです。その約束事はちょうど方位を確認するための夜空の星座とか、どこからでも見える山、あるいは灯台のような役割を果たしている。

何のために方位を確認するのかと言えば達成すべき目標、到達しょうとする目的地にたどり着くためです。方角とそこまでの距離を測りながら目標や目的に到達しょうとする - ビジネスの世界の言葉で言うならば、現状を把握し、分析を行って、対策を練って実行し効果を確認する - そうした一連の作業を繰り返し繰り返し行っているのですから、合理的な習性なんだと言えるでしょう。

さらに言い換えれば、何かの目的のためにという集中力を必要とするのが男性特有の傾向と言えるかも知れません。

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ただ、それが少々悲しい傾向だろうかと思っているのは、「集中力を必要とする」傾向がややもすると「集中力を求められないと (=目的がないと) 力を発揮できない(?)」という傾向につながってしまっているように感じるからです。

”男は結論の出ない話しはしないものだ” なんて言われることもありますが、それこそ、目的とか目標、何かのためにという集中力を必要とする習性だからこそかも知れません^^;

現役の生活を続けるためには今そのときの習慣や習性を簡単に放棄するわけにはいかない - 仕事への対応が立ち行かなくなってしまいますから。そのディレンマを承知の上で、仕事を離れる - 目的を必要としない - ときが来たならば、思い切った切り替えが必要になるだろうということを覚悟しておかなければならないのかも知れませんね。

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