人生は、楽しむためのもの? 自分を磨くためのもの?

人生は楽しむためにある! はず!!^^;

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あるテレビ番組を見ていたら、人生を楽しむため” に就職をする人の割り合いが、”自分を磨くため” に就職する人の割り合いより圧倒的に多い!? という統計情報が紹介されていました。

自分を振り返ってみると、確かに、何のために? を問われることが多かったなと思います。
まだ知らない社会人の世界。自分というものがどんなふうに通用するのかしないのかさえ分からないから、それがどんなものであっても 楽しむため… というような余裕はとてもなかったな^^; と思うのです。

高校・大学と学業を続けるについては、勉学のためのお金を出してもらう… という名目を満たすため、両親に納得してもらえる理由・根拠が必要でした。だから自然と “自分を磨くため” というのに近い就学の動機を自分の中に見つける必要もあったのです。

もちろん感謝の念を忘れてはいけないだろうと思います。特に、自分が与える側になる日がくるということを思えば。

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(c) Can Stock Photo / kbphotodesign

ただ、楽しむため… という動機を追いかける人だったとしたら、自分が親になり、子どもの勉学を支援するということがうまくできない… なんていうことがあるでしょうか??

自分を磨くため” という動機が重苦しいというようなわけではないのですが、自分で完結する? 望みで、途中経過も結果も分かち合えなかったと感じるのです。楽しむため… 、つまり自分のものではあっても歓びが動機の真ん中にあったなら、友だちなど心かよう人たちとその歓びを分かち合うことができるだろうと思うのです。

言い訳のきかないところに自分を追い込んでいた - そんなニュアンスが強かった “自分を磨くため” という動機のほうが集中力が… 強いエネルギーが出せる??
そういう精神論的なものではない、自分の好きとかやりたいを追いかける動機なら、もって目を輝かせることはできるんじゃないかと思うのです。

アランとバーバラの二人が書いた「自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング」という著書の中の『「笑いのない生活を送る人 」は早く老けこむ』という一節にこんな言葉が並んでいます。

あくまでも引き金であって原因ではないが、「笑いとユーモア 」は、二一世紀のストレスに対して薬を使うことなく安上がりに対処できるもっとも効果的な方法だ。笑いのない生活を送る人、物事のユーモラスな側面を見つけられない人は、病気になり、早く老けこみ 、私生活で失敗を重ね、早死にしてしまう傾向が非常に高くなる。

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ユーモアを感じることができるというのは、精神的な幅の広さといういか余裕のようなものに通じる、心の柔らかさのようなものじゃないかと思います。

今だからそう思うのですが、この一節、自分の両親とかその世代の人たちに聞かせていたらどんな反応が返ってきたろう?^^; と思いますね。

もしかしたら私に限った経験だったのかも知れませんが、「笑い」とか「ユーモア」というのはおよそ生活には必要がないもの⁉︎ という感覚の中で暮らしてきたような気がするだけに、自分でも笑うのが苦手だったり下手だったり。人の笑いをスムーズに受け入れられない… なんてことにならないようにしたいものです。

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