“会うは別れのはじめ” だとしたら

30代以降、どの年代が一番多かっただろうかと比べられないほど、職場での出会いと別れの人数はたくさんだったなぁと感じます。

  • 10年20年… と続けてひとつの職場に勤めていて思うのは、「ひとつの職場にそう長く勤めるという文化はもうなくなっているんだな」ということ。
    そして
  • 自分より若い人たちほど、一緒に働き続ける時間が短いなということです。

年功序列や永年勤続 - そんな常識? があった

1980年代 - もう大むかしですね!^^; - オランダのアムステルダムで、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、そしてオランダの人たちを社員とする会社へ短期の出向で働いたとき、仲間が集まってのランチタイムで、勤続年数の話しになりました。

そこでみんなの意見が…「ひとつの会社に5年以上勤めるのは、異常なほど長期勤務だと思う」ということになったのです。そういう志向の人たちが集まった会社? だったんじゃないのかと思い、切り返して質問してみましたが、「いいや、それが普通!」という答えだったのです。

当時の私にはまだ「年功序列」や「永年勤続」というものが普通だと思う感覚がありましたから、彼らの話しが、それはそれは耳新しいものに聞こえたものでした。

今、私たちが年功序列や永年勤続という言葉を「何それ⁇」と感じる時代になっているとしたら、

  • 仕事感も
  • 人生感(結婚感も家族感も、死生観も含めて)も

少なくとも、私の両親の世代とは確実に違う時代を私たちは生きていることになるだろうと思います。

両親の世代と何が変わってきているのか? -
ひとつの仕事が “一生もの” のような感覚の時代には、人生設計も人と人のつながりも、ある意味、仕事を中心にしていたという面があった… その、人生の中での仕事の意味合いが変わってきていて、人のむすびつきという力仕事からなくなってきている?? - そんな変化でしょうか?

もしそうだとしたら、今、私たちをむすびつけているのは何だろう? という疑問にも通じるような気もします。

出会い、別れる - そのとき感じるものも変わっている⁇

「会うは別れのはじめ…」- 私はそう自分に言い聞かせながら、たくさんの仲間と別れてきた - そう感じています。

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そしてその感覚は、出会った人たち、一緒に働くようになった人たちに接してきた、「同じ釜の飯を食べる」ような感覚から生まれているように思います。
けれど、今ふうに言えば、ウェットでうっとうしいもののようにも感じます^^;

もう少し言葉を足せば、今の私は、昭和な感覚と、個人を大事にしようとする平成の感覚のハイブリッドというのが正しいかも知れません。その思いの中心に、出会いとか別れを結構大事に考えようとする姿勢があるということのように思うのです。

さて、みなさんは、職場の仲間をどんなふうに見ていますか?
あるいは、職場での自分自身をどう見てほしいと思っていますか?

 

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