身軽に、スマートに暮らせるようになるには?

“大切なもの” そう言えるものはどれくらいあるだろう

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私たちの暮らしに “無駄” というものはない - そう言いたいもの。
普段、自分の生活の中、自分が持っているものを見まわしてみて、なくていいものはないと思うのですが、その割には、「よくぞこんなに」と思うほど物があるなと感じることもあります。

はたして私たちは “使う使わない” だけの効率的な整理をすることができるものでしょうか?
何とか身軽に、スマートに暮らしたいとは思うのですが…^^

tidy yourself
(c) Can Stock Photo / voronin76
上質な暮らしのために持つものも上質に?

上質な暮らしをめざそうと思ったら、持つものもしっかりと選別することが必要です。上質なものをたくさん持つのは贅沢に見えますから、ほんとうにいいものを少しだけ持って大事に使うのが基本です。
そして、毎日使いたくなるもの、使うのが楽しいものしか持たないようにすること。こうすれば、自然とまわりの品も数少なくなり、全体として暮らしはシンプルになっていきます。
暮らしに必要なものが少なくなれば、品物一つに対する愛着も深まり、長く大切に使おうという気持ちも育まれます。
それと同時に、ほんとうに気に入ったものや自分の感性に合うものを選ぶ選択肢も磨かれますから、自然とセンスも良くなっていくはずです。

(中略)

使うものはほんとうに気に入ったものを最小限にして、必要ないものは持たないこと。
言ってみれば単純なことですが、「これが好き」「これを持っていると楽しく感じる」という品だけでまわりを固めれば、必然的に暮らしはシンプルになるのです。

出典:保坂 隆氏著・「50歳からのお金がなくても平気な老後術 (だいわ文庫)

どうも、「言うは易く、行うは難し」という感が強い気がしてならないのですが、無駄なく身軽な生活にあこがれがあるのも事実ですね。

そもそも私たちは、たくさんのものに囲まれている方が幸福感を強く感じることができるとか、安心していられるとか思っていなくても、身の回りに、どちらかと言えばものがあふれているような暮らし方になるのはどうしてなのでしょうね。

保坂氏の一節にもちょっとした違和感を感じるのは、

自分から求めなくても、ものの方からやってくるときにはどうすべきなのだろう

ということがあるから。
つまり、人里はなれた山の中に自分一人で住んでいるのならばともかくも、人として人との関わりの中で暮らしていれば、”ものの方からやってくる” ということもあるのです。そんなときはどうすればいいのでしょうね^^;

かく言う私は、実家を処分しようと実家にあるものの総ざらえをしたとき、物の多さにほんとうに驚いたものでした。
驚いたというより、自分の生活に重ねてみてある種の危険を感じたほどです。

その驚くほど多い物の中に、あの従妹、あの親族と確認できる引き出物で送られた品がいったいいくつあったでしょう。

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律儀に、使ってはきれいに洗ってまたその贈答用のケースに収め、10年20年と持ち続けていたものばかりでした。それが少なくとも、自家用車の後部座席に積み切れないほどもあったのです。記念に贈られた花びんとか、絵、置物、書、アルバム - とにかく生きていた分、”ものの方からやってきた” 物のバリエーションと数が多いのだな、と思ったものです。

「毎日使いたくなるもの、使うのが楽しいものしか持たない、シンプルな生活」が快適だろうということは誰にも分ることです。
ただ、使うのが楽しいものだけに絞り込めるようになるには、時間と経験 - 何が本当に必要なのか、それだけで暮らしていけるということを覚える時間と経験が必要なのです。

ことさら断捨離と言わなくてもいい生活を考え、自分の周りを見まわしてみることは、やっぱり必要なように感じます。

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