言葉だけでは成り立たない?! - コミュニケーションって何?

私たちのコミュニケーションは本当にかたよってはいないのか

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年齢だとか、性別だとか、そうしたフィルターをかけて人に接っしたり、人を評価してはいけないと、今の私たちはずいぶん神経を使って自分をいましめているはずですが…

誤解される上司の言動

上司の言動、些細な言葉じり、癖や習慣までもが、計算され意図された意味あるものと受け取られる。
・・・「マネジメント」

出典:P.F.ドラッカー氏 著・「仕事の哲学 (ドラッカー名言集)

だとしても、ドラッカー氏のこの言葉は、私たちは上司の言葉をフィルターをかけて受け取るものだと言っています。なぜでしょう?

ドラッカー氏はこの言葉で何を伝えようとしているのでしょう?
会社の中、上司は自分の言動が違って伝わるもの、たとえば…
会社勤めする者の名前に 職制 - 部長とか課長など - がついただけで、

  • 同じ言葉も違って伝わる、あるいは
  • 伝えたいと思っていることが伝わらない

だから… と、コミュニケーションの秘訣を教えてくれようとしているのでしょうか?

部長にしても次長とか、課長にしても、社会的に責任ある立場の人間なのだから言動に気を付けなければならないのは当然のことだ、という言葉が聞こえてきそうです。

ただ、その社会的な責任というのは、誰が決めたものなのでしょう? 誰に聞いても同じ説明が得られるものなのでしょうか?  実は、誰に聞いても同じ説明が得られないものだからこそ、ドラッカー氏の言葉があるのだと、私の経験は言っています。

ジョブディスクリプションがあっても、言動の意味まで決めてはくれない

もしかすると、その会社ごとに職制の責任と権限(その人の立場や役割り)がしっかり決められていて、社員みんなに共有されていることもあるでしょう。

それでも責任や権限の定義が、その人の言動の意味まで定義してくれるものではありません。
部長なのに… 課長なのに… とか、上司たる者 xxx であるべき?? というような言葉が聞こえるのがその証拠です。

上司だからこうあって当然!? … という発言は上司という立場に立つようになってみると、ほとんどの場合、部下たちから聞こえてきます。上司という立場にいる者同士で 上司たる者こんなときはどうあるべきか… 少なくとも私の環境では(会社が求めるセミナーにでも出席しない限り)そういう発言に出会うことはありませんでした。

責任や権限の定義があっても上司に求めるものは人それぞれと言えばいいでしょうか。
だから、ドラッカー氏の言葉が出てくるのです。

私が経験から学んだのは、人と人の間で交わされるコミュケーションというのは、まず先に「前提」とか「条件」があって成り立っているのだということでした。ドラッカー氏が言うマネジメント論は、人と人の間で交わされるコミュケーションのあり方とか、そこにある私たちの心理を前提にして成り立っていると感じるのです。

言い換えれば -
ドラッカー氏が語るマネジメント論をまなぶことで、部下が標榜する上司を理解出ればそれに越したことはないでしょう(もちろん、理解するということは、その理解した通りに行動し、言葉を発するという意味ではありません)。

しかし、上司に求めるものが人それぞれだとすれば、そのそれぞれ違う価値観、感覚を感じ取れる感性がないと、上司と部下の間のコミュニケーションを形づくることができない!? ということだと思うのです。

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少し意地の悪いとらえ方をすれば、「年齢や性別など、フィルターをかけた目で人を見てはいけない、あつかってはいけない」のだとすれば、ジョブディスクリプションが正確に共有できているかどうかを確かめずに、上司だから社会的な責任を問うというのは、逆パワーハラではないのか!? ということにもなるでしょう。

上司たる者… を求めるのであれば、同時に、部下たる者… が語られなければおかしいだろう!? ということにもなるでしょう。

私たちのコミュニケーションはそれくらい、かたよった状態で行われている -
その意識  - 反省 - から、はじめたいものだと思うのです。

 

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