終活も定活も、思い立ったときがはじめどき!?

少し遅めの私の場合

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どこかで「天職か、適職か」ということを記事に書いたことがありました。

そもそも何のために働くんだっけ? というのに近かったそのテーマは、自分にとって、今の仕事はどんなものだったろうか? というニュアンスがありました。

自分を仕事に活かしきれているだろうか…?
翻って(ひるがえって)、今よりもっとこの仕事で力を発揮したいけれど、どうすればいいだろうか…? という感覚を持って書いた記事でした。

どうしてそんなことを考えるのだろう? という切り口で書いた記事もありました。

暮らすには… 生きていくのに必要な糧を得るために働く、仕事をする… それでいいじゃないか。それ以上何を望んでいるのだろう?? という感覚で書いた記事でした。

そういう、定義のような、”押さえ” のようなものがないとダメな世代なんだろうなというのが結論だったような^^;

どうも遠回りするような性格らしくて、その分、何をするにも時間がかかる。
時間がかかるからでしょう、 就職をして仕事をはじめたのが多くの友人より一拍か二拍遅かったのです。アルバイト生活に別れを告げ、定職をもったとき25になっていました。

定年60歳? の時代に

今は、定年は60歳 と言われる時代ですが、スタートが一拍、二拍遅かった私には、65歳と思ってもいいのかもしれません。ということは…?

そのままであれば、一般に「シニア」と呼ばれる期間が5年ほど短い?! ことになりますね。でも時計は巻き戻せませんし、何より、その一般のカレンダーも、一度切りに近いペースで進んでいくのです。

一般のカレンダーのやり直し? - タイミングを一度逃しても仕切り直しをする - ことはできないものかということも学習をしてみたいものだと思ってはいますが、なぜこのタイミングを大事にしなければと考えているのかと言えば、「定活」(定年を迎える準備活動?)という言葉に出会ったからのように思います。

一般的に60歳が定年だとすれば、
「定活」と言われる期間はそれよりも少し前。単純に計算すれば50代後半ということですよね。

自分のペースはどこだろう

より若く、その分体力も判断力も、自信も、力があるうちに… そんなことを思ったのは、両親の最晩年に立ち会ったり自分のその後を思いめぐらした「終活」をめぐる思いの中でした。

もしかすると、定年とか定活を思う私の頭の隅には、そのときの感覚が残っているのかも知れません。

これから先、一拍二拍遅れて、あるいはその短縮した期間の中で、何か準備とか考えたりということはできないのじゃないだろうかというような、不安のようなものもあるのだろうと思います。

ただ、何もないのが不安なんだと、職場の若い仲間に向かって話しているのです、まったく別のテーマを前にして。そして、何もないのに、まだ起きてもいないことに縛られないでほしいと。

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その自分の言葉を自分に向かって投げかけてやらなくてはいけないなと、思うです。

to be continued …

However, we will be worried about the absence of anything. I’m talking to my younger colleagues at work, in front of a completely different theme. And I say, don’t be tied up with nothing that hasn’t happened yet.

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