仕事を家庭に持ち込まないという思いはどこにいってしまったのか

会社か、個人か

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会社勤めが長くなるほどに、まず会社ありきの考え方をしている - 会社の中にいれば One for All よろしく、いつの間にか部署や会社を基準に考え、行動している。
それってあたり前だと思いたいのですが・・・

ところが、4、5年ほど前から、染みついたその感覚は少しずつ抜いていかなくてはいけないのではないかなと思うようになりました。若い頃に考えていた、会社と家庭(自分の時間)のバランスが会社の側にかたより過ぎていると感じることが増えたのです。

何かを考えるときの視点をもっと自分の側に置くにはどうしたらいいだろう - そんなことを思うようになって出会ったのがある著書の『過去に執着すると、いまこの瞬間を楽しめない』という一節でした。

年齢を重ねると気むずかしくなるとよくいわれますが、なかには、そんな印象をまったく与えず、軽やかな気持ちで生きているように見える人がいます。

(中略)

とくに男性の場合は、社会的地位や肩書にこだわる傾向が強いので、現実的な考えの女性に比べて、頑固になる度合いが高いようです。

また、歳とともに頑固になるのは、脳の老化とも関係があります。高齢になると脳の情報処理速度もだんだん遅くなってきますから、他人と理解し合い相互のコミュニケーションをとるのが煩わしくなってくるのです。

脳が柔軟な若い頃ならエネルギーは十分にあり、脳のあらゆる回路を通して情報を受けとめ、理解を深めていくことができます。でも、年齢を重ねてエネルギーの足りなくなった脳にとって、コミュニケーションの構築はかなりの負担になります。

そこでわざわざ煩わしいことをするより、自分が正しいと感じることだけを押し通したほうがずっとラクなため、だんだん「頑固者」になるというわけです。

出典: 保坂 隆氏著・「精神科医が教える50歳からのお金がなくても平気な老後術 (だいわ文庫)

私たち男性にとっては何とも笑えない話しだなと思いますね^^;
自分の父親に「頑固者」という言葉を重ねて見ていたり、「頑固者」と呼びたくなるような例を友人や知人の中に見ていたりすると尚更でしょうか。

“人の振り見てわがふり直す” とは言いますが、この男性特有というタイプ性質の話しをされるとそれだけで自然と「自分はどうだろう?」という心理なるのは、やはり思い当るふしがあるからなのでしょうか?

motivation first, action second
(c) Can Stock Photo

「社会的な地位や肩書にこだわる傾向」というのも男にとっては何とも切ない話しです。
責任と権限の所在を確認しながら生きなくてはいけない - それが社会人としての男性にとっての常識だし、その常識に従って仕事をしてきているのです。その常識が頑固の原因かもしれないと聞こえる話しは穏やかな気分で聞き流すことはできませんね。

たとえば私などは、仕事を家庭に持ち込まない、仕事のストレスを家庭に持ち込まないというようなことを言って、集中力とメリハリの効いた生活をしたいと考えていたこともありました。

ところが二人の人格を生きるということはできないもので、仕事と家庭生活をよほど上手に区別して暮らせていたとしても、思考回路はふだんフル回転して使っている仕事パターンになっていることが多いのです。

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仕事パターン、つまり、「社会的な地位や肩書」を尊重しようとする感覚です。

社会的地位や肩書に基づいた上下関係の中にいるというのは訓練することで - 長くそこにいることで - 慣れてしまうというのが一番の問題なのでしょうね。現実的とか観念的とか言う以前に、感じたり考えたりすることがなくなってしまうという危険があるということです。

そう考えてくれば、私たち男性は慣らされてはいけない、朱に染まってしまっては自分がなくなってしまうという危機感を持たなくてはいけない。二人の人格を使い分けるほどのたくましさを身に付けなくてはいけないということになりそうです。
何といっても、ただの頑固者にはなりたくないですから。

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