走るか、乗せてもらうか、どちらを選ぼう??
20年近く前にリリースされたモデルを乗り続けようとして1年車検を繰り返すようになって何年目だったかな?^^;
自動車とか自家用車と呼ばれる製品は “耐久消費財” と呼ばれるカテゴリーに入る物のような気がしていたのですが、その「耐久」という言葉が示す期間は何年くらいなんだろう? と思ったり、よく乗り続けたもんだなと思ったりしています。
そのクルマはカローラフィールダーという名前のモデルで、主な装備は
- オートエアコン
- CDプレーヤー
- パワーウィンドウ
- マニュアル チルトステアリング
- キーレスエントリー
- エアバッグ
- ABS
- AT
のガソリンエンジン車。総額およそ 180万円 ほどのものでした。
20年弱前の180万円を今の価値に置き換えるといくらになるのでしょうね?^^;
その前のクルマは同じカローラでしたがモデルタイプはセダンで トランスミッションは MT。
燃料計をはじめとする計器類はすべて指針が回転するアナログタイプ。
セダンからフィールダーに変わるのと同時にトランスミッションが AT に変わったわけですが、運転そのものが変わったという印象でした。
クルマは “走らせる”、”操作する” ものだった
私は20代半ばからゴルフ場でのコース管理の仕事をしてきたのですが、私には、自動車という乗り物は
エンジンがあって、クラッチ、トランスミッション、アクスルがあるもの
というイメージがありました。
普段仕事で運転する2トンダンプにはパワーステアリングがあるだけで、クラッチを操作する、MT でした。
パワーショベルもブルドーザーも運転自体は AT的? ではあるものの、感覚的にはダンプと同じ MT 車 という感じでした。言い換えると、クルマはクラッチを操作する MT 仕様で使うものという感覚があり、操作を間違えれば(=クラッチをつなぐことがうまくできなければ)エンストするものだったのです。
操作を間違えたらエンストするというのいうのは、走れないということですから、それが私の安全に対する感覚でもあったのです。
アクセルペダルから足が離れれば、クルマはやがって止まってしまう(=止まるべきもの)…
それがクルマというものだったのです。
キーレスエントリーが変えた便利さ、AT が変えた安全感覚
それだけに、トランスミッションが AT に変わり、運転そのものが変わったという感覚は理解してもらえるのではないかと思うのですが、どうでしょう?
いったい何年前の話しをしているんだ!? と言われるだろうとは思います。35年前後も前の話しにさかのぼっているのですから^^;
トランスミッションが AT に変わると
- 坂道発進が簡単になる
(路面が上りか下りかということをあまり神経質にならずにすむ(?) ) - エンスト(あるいはノッキング)というものを経験しなくてよい
(エンジンは基本的に止まらない)
の2つあたりを中心に運転(感覚)が変わります。
クラッチがないクルマですから、クラッチペダルはありません。当然ですね^^;
ただ、何気なく書いていますが、基本的にエンジンが止まることがないというのはとてもとても重要なことです。
何のために重要か?
もちろん(運転する者にとっての)操作性のためです。
逆に…
基本的にエンジンが止まるというのはとてもとても重要なことです
と言ったとすると、何のために重要なのでしょう?
そうです、安全性のためです。
つまり、
トランスミッションが AT に変わると操作性が変わり、安全に対する(運転する者の)役割り・責任のようなものが変わるのです。私が感じた、運転が変わるという感覚の正体がここにあります。
言い換えるなら、ATは自動車というものを簡単に、操作しやすく変えてくれた。
運転席に座って(ミラーや座席の調整はあるでしょうが)アクセルを踏めばクルマは進み、ブレーキを踏めば減速し停止してくれるのです。
「前に向かって走る」という意味の操作性を高めたと言えばいいでしょうか?
AT限定という運転免許が取り入れられたのは1991年(平成3年)11月で、もう30年からの時間が経っていますし、ちょっと極端な言い方ですが、AT仕様かMT仕様かで、操作性と安全性が違う製品なんだと思うのです。
操作というものを少し具体的に説明してみるとすれば…
坂道発進(路面が上りか下りかを含みます)という操作がないの(と同じ)ですから、クルマを操作…
言い換えれば、タイヤがどう転がるかを意識したり、操作しなくてもよいのです。
発進というのは、エンジンのパワーをタイヤに伝える操作ですから、路面が上りなら、クルマが下がらないよう(タイヤが逆に転がらないよう)にしなくてならない… だから、パーキングブレーキが必要になりますね。
運転そのものが変わったということを言葉を変えて言うなら、
クルマは操作するものから、乗せてもらうものに近づいた
と言えるかもしれません。
to be continued …