ミステリーのはじまりはそこに 『不連続の世界』

ミステリーかホラーか

スポンサードリンク
いつもの景色の中にミステリーが
© Can Stock Photo Inc./zoelavie

私は、光のあたった面に目を凝らし、見えているものを理解しようとする。方や、彼は、その視線とは別の位置から同じものを見ている、あるいは、目を凝らしている私と私が見ているものを別の角度から見ている。そのとき、私が見ているものが彼の眼に同じように映っているとは限らないのだ - そんなごく単純なことのようでいて、難解な謎解きを求められているような感覚になったまま読み進めた著書です。

奇抜な予期することのできない結末や、常に背中に視線を感じるような恐怖を感じさせるものではありません。ごく日常のようでいて、何気なく通り過ぎてしまう違和感や感じた不思議を、ふと立ち止まって振り返ってみる、あるいはそこまで戻って確かめみる - その時、その違和感や不思議が答えの見つからない謎になる - たとえばそんな、いつのまにか背筋が緊張しているというお話しのオムニバスです。

このそこはかとなく感じさせる違和感や、そんなことはあり得ないと思わせる不思議を、みなさんはミステリーと呼ぶでしょうか? ホラーと呼ぶでしょうか? あるいはそのどちらでもないとしたら、何と呼べばよいでしょう。

何気ない日常ですれ違う不思議は、たとえばこんなふうにやって来ます。

「さて、帰るぞ」
「はい、お元気で。また夢の続きを聞かせてください」
「ふん。コモリオトコにでも聞かせてもらうんだな」
「え?」
田代はさっさと歩いていってしまった。
今、田代はなんと言ったのだろう?

そしてその不思議はこんなふうに姿を現すのです。

「え? きみ、今何か言った?」
半分はほっと胸を撫で下ろしながら多聞は少年に尋ねた。
少年は瞬きもせずにじっと遠いところを見つめている。
「何?」
多聞は少年の視線の先を見た。

木守り男 より

描き出される場面の不思議

物事を見る私たちの視野というのは、ひとつの方向からしかものを捉えることができない - それはちょうど、光とその光をあびて姿を見せる景色の関係によく似ている。
この著書を読みながら、私はそんなイメージを持ち続けていました。

光をあびた面 を見ることはできるけれど、光が来るのとは反対の面は影に覆われてしまう。影の部分を見ようとするのであれば、光の角度を変えなくてはならない - 今見ている光のあたった面を克明にイメージするほどに、今は見えていない影はさらに濃く深くなってしまう。
その過程を見えるように、ゆっくり時間をかけて謎解きをしてくれている - それが読み終えたあとで分かる物語だと言えるようにも思います。

目に見、手に触れることができる日常の見え方が変わってしまう。その視点は、たとえばこんなふうに動いてゆきます。

「なんだか、変」
数分も歩くと、巴がひとりごちた。
「うん」
多聞も同意する。
歩いても、歩いても、進まない。
視界の中の景色がちっとも変わらないのだ。

(中略)

小さく見えた砂丘が、どんどん大きくなっていく。

砂丘の風紋が描く不思議な模様
© Can Stock Photo Inc./wayne0216

そうしてT砂丘とその砂、あるいはT砂丘が作りだす景色を確認しながら、主人公たちはT砂丘にまつわる謎解きをするのです。

「この時の、日本紀行が結構奇妙なのよね。特に、このT砂丘の記述が」
「なんて書いてあるの?」
巴は当惑した顔で多聞を見た。
「あのねえ、『消えた』って書いてあるの」

砂丘ピクニック より

『不連続の世界』の正体?

このオムニバスの不思議の正体は、読み終えたあとも探し続けたいような、時間がたっても何かを置き忘れたような感触を残してくれるようにも思います。

スポンサードリンク

例えば - たくさんの人たちが行き交う街に立ってカメラを構え、シャッターを切る。
そして次の被写体にカメラを向けてシャッターを切る。
そうやって撮った何枚かの写真を並べてみると、それぞれの写真には、その時の街のその時の時間が切り取られている。同じ場所で撮った写真なのに、隣り合った一枚ずつの間に写っていない時間が流れているのが分かる。
一枚一枚の写真を説明なく別々に、別々の人が見れば、その二枚の間にあった時間のつながりは消えてしまう。
私たちの目や感性が捉えている世界は、そうした写真一枚一枚のようなものではないだろうか -

多聞という主人公の目を通してみるひとつひとつの世界 - 一話一話の世界 - がどんなふうに見えているだろうか。

この作品 「不連続の世界」はそんな問いかけをしているように感じるのです。

スポンサードリンク

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です