自分を見つめ、相手を思う - 愛するということを学ぼうとする人に 『さだ語録』

大切な人を忘れない

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家族人間関係仕事人生、そして日本を思うさだまさしさんの数多くの言葉が綴られた本に出会いました。みなさん、もうすでに読まれましたか?
数えきれない曲を作り上げてきた さださん の、メロディがついていない言葉、そう思って読んでみると何かがきっと胸に残る - そんな一冊だと思います。

家族のことば の中にこんな一節がありました。

家族の心の潤滑油として、
お母さんの存在は非常に重要

僕は家族や家庭の心の潤滑油として、お母さんの存在は非常に重要だ、と思います。

(中略)

お父さんという人間を、家庭内で子どもたちにうまく説明し、パートナーとして守り立てていく。そうしたらお父さんはどれほど有り難いでしょうか。だって、自分で自分を解説するのは、言い訳してるみたいで何だかみっともないじゃないですか。

(中略)

きちんと解説するにはお母さんがお父さんを理解することから始めなければなりませんよ。

家族ひとりひとり、両親と子どもはこんなふうに互いを思いやる気持ちで結ばれていなくてはいけない - そんなさださんの思いが伝わってくる言葉ですね。

子どもたちにも親にも必要なもの
(c) Can Stock Photo

そして、さださん自身別の章で「昭和の尻尾を引きずる僕としては」と語られているように、”潤滑油としてのお母さん” を語ったこの言葉には昭和の匂いがするなと感じます。
昭和生まれ昭和育ちの私にも似たような感覚があると思います。そしてそれだけに、こうした言葉の背後にある優しさのようなものを感じ取れる感性をなくさないようにしたいものだと感じます。

潤滑油としての役割を母親だけに求めるのは片手落ちだ - 私たちにはそんなふうに、言葉を額面通りに受け止める傾向もあるように思うからです。

さださんは決して昭和の感覚を前提にこの言葉を語ったわけではないでしょうし、”潤滑油としてのお母さん” を語ったこの言葉はコンテキスト - この言葉を中心にした前後関係 - を確認しながら聞かなくてはいけないものでしょう。そうしないと、言葉を額面通りに受け止めて終わりにしてしまう失敗を犯すことになります。

現代の、特にこれから結婚の時期を迎えようとする人たちや、今子育てに頑張っている世代の人たちにはどう響くだろう - 人によっては、あるいは事情によってはゼロちゃん(1歳未満の子どもさん)の時から保育所に子どもを預けて共働きで家庭を築き、守っている人たちにとっては

お母さんはお父さんのための潤滑油であり、同じように、お父さんはお母さんのための潤滑油になること

「二人で育てる」という意味になっているように思う。
そうした新しい “二人” の価値観が育っているということを十分承知の上で、さださんは “潤滑油としてのお母さん” を語ったこの言葉を発している、そう感じるのです。お母さんを通して家族みんなに語りかけている - その表現の仕方が昭和を感じさせていると思うのです。

別の言い方をすれば、この著書 『さだ語録―あなたの心は元気ですか?』 の全体を通してどんな価値観、どんなニュアンスのことが語られているかを感じ取った上で、もう一度 “潤滑油としてのお母さん” の話しを読んでみると、その意味がはっきり分かるでしょう。

あえて “昭和の感覚” というものを掘り下げてみると、そこには 「一を聞いて十を知る」 洞察力を働かせなさいという厳しさがあった、そんな気がします。

お母さんとお父さんは一対として分けて考えるわけにはいかないもの、それは分かっているはず。だとすれば、お母さんを語る言葉が同時にお父さんへの言葉であることは理解できるだろう・・・

そんな厳しさです。
そこには、「すべてをわざわざ説明しなくてはならないとすれば、どこかがおかしい」、しっかりと理解してもらえるようにと「言葉を尽くす、言葉をつなごうとするほどに、伝えるべきものがぼやけてしまう」 そんな感覚があったように思うのです。

すべてを説明されなければ分からない、と言う前に、相手の言葉を受け止めようとする想像力と思いやりを十分に発揮しなさい - それを求める感覚です。

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ただ残念なことにその “求める感覚” は、丁寧・十分に説明し、リードしてくれる文化ではなかった。どちらかと言えば “ダメ出し” の文化でしたから、聞かされる立場だった私などは、思いやりなく上から目線に扱われるばかりだと感じたり、一面だけを捉えて “十羽一絡げ” に扱われると感じて反発してきたわけです。

そしてある意味皮肉なことにというべきでしょうか、ダメ出し vs 反発 - “昭和の感覚” が持っていたそんな二面性は、個人や個性を尊重しようとする今の時代の要請にどこかでつながっていたのではないかと思うのです。

さだ語録に綴られている言葉は、どれひとつ取っても否定しようのない説得力を感じさせるものばかり。ただ、「うん、そうだ」で終わらせてしまうのではなく、自分の言葉に置き換えてみたいと思わせます。さださんはそえを望んでいる、そんな気もするのです。

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