振り返ることが明日につながるか - 『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』

私たちの世界、私たちが求めるもの

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何をやり甲斐に、何を求め、何のために、どれくらいの力を注いで暮らしてきたのか。自分の年齢や健康、家族の形の変化などに重ねて自分のその先を考える -そうした思いになるのは誰にもあることのような気もするのですが、C.ダグラス・ラミス氏の経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか (平凡社ライブラリー)」を読みながら、人生はもっとゆっくり歩きたいものだと感じています。

二十四時間働くべきか?

二百何十年も前にベンジャミン・フランクリンが作った諺があります。諺といっていいかどうか分からないけれど、「時間は金なり(タイム・イズ・マネー)」という言葉です。どういうことかというと、これは労働倫理の基本なのですが、人間が持っている一日二十四時間はすべて、もし生産と労働に使えば、お金に替えることができる。フランクリンが言ったのはそういう意味でした。

極端な言い方をすれば、働いていない、金儲けをしていない時間はすべて無駄な時間ということになる。それどころか、アメリカには同じ諺にもう一つの言い方がある。「暇は罪(アイドルネス・イズ・ギルト)」。残酷な言葉です

(中略)

人間の生きている時間は一日に二十四時間しかない。お金の理論から考えてどれだけ働くべきかといったら、そこまででいい、という歯止めは存在しない。だから二十四時間働くべきということになる。「リゲイン」というドリンク剤のコマーシャルは「二十四時間働けますか」とフランクリンの論理をそのまま求めたわけです。

確かにあのコマーシャルをはじめてみた頃、「何を言おうとしているのだろう」、私たちが感じているすべてを言おうとしているのだろうが、少し洒落が効きすぎていて笑えないと感じたのを覚えています。リゲインをやり玉に挙げようというのではありません。

そのくらい誰もが働いてあたり前だと思い、頑張りは報われると信じたいと思いながら暮らしていた、その記憶が呼び覚まされ、自分の今を見直したいという思いと重なる一節だなということを言いたいのです。

本来は技術の進歩が人間の労働時間を減らしてくれるはずだった。それが技術の進歩の約束だったはずです。十九世紀の初めから、やがて一日八時間、そして四時間というふうに、労働時間を減らすという夢があった。数年前まで、労働時間が増えているのは日本だけというイメージがあった。ところがこの半世紀でアメリカ合衆国もどんどん労働時間が増えている。もちろんそれは仕事のある人で、その代わりホームレスも増えているという不思議な状況になっているのです。

「何のための仕事(だった)だろう」という、自分を見つめ直したいという思いの裏には、これによく似た疑問がある - そんな気がするのです。

meaning of your job and life
(c) Can Stock Photo / alphaspirit

「何のために働くのか」という、本当は自分の生活観や人生観の中心にあったはずのテーマはいつの間にか「どう働けばいいのか」という別のテーマにすり替えられてしまっていたのではないか - 何がきっかけになっているにしても、そんな本来の自分に立ち返りたいという思いがうまれているのだなと感じます。

ただ、この著書で語られているテーマはあまりに根源的なものです。「確かにそうだ」と共鳴する思いがあっても、「では、どうするか」の答えがなかなか出せないのではないかとも感じるのです。

特に、

ローマ・クラブの『成長の限界』という本が一九七二年に出ました。これはタイトルのとおり、世界の経済成長をそろそろ止めなければならないという研究でした。

この一節があるので、無力感が強くなってしまうかも知れません。

成長の限界―ローマ・クラブ「人類の危機」レポート』は発表されたのが1972年。
高度経済成長期は1954年から1973年の19年間と言われていますから、ローマ・クラブはその日本の経済成長期の最終盤とほぼ同じ時期に「そろそろブレーキをかけよう」と言っていたことになります。

けれど、バブルと呼ばれた時期は1986年から1991年ですから、”アクセルとブレーキを踏み間違えた” という、どこかで聞いたような、別の形の経済成長を求め続けていたことになるのですね。

そしてこの『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』が2004年。『成長の限界』から32年も経っていたのに、満足できる減速ができていなかったことが分かります。

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そしてさらに今が2016年。『成長の限界』から44年経って十分な減速、あるいは確かな方向転換ができているのか -
確かに私たちにかけられるブレーキではないだろうし、回せるステアリングでもないだろうと思います。

けれど、今の速度や方向は私たち自身が選んできたものだというのも確かなことでしょう。
C.ダグラス・ラミス氏を信奉しようという話しではありません。自分たちの人生を見直したいという思いの出所の確かめようとしたら、彼が発している疑問と同じ場所に立ってみるべきかも知れないと思うのです。

私たちは、燃えるゴミと燃やしてはいけないゴミ、有害ゴミ、ビン、カンなどに、毎日ゴミを分別して出したりはしています。有機農業をやるか、あるいは、その有機農業でできた野菜や果物を買ったりはします。

けれども基本的には、消費社会、消費文化を続けているわけです。ほとんどの経済学者や政治家、ビジネスマンは、これからも経済成長を続けるという立場に立っている。そしてこの立場は、相変わらず「現実主義」と言われているわけです。

ところが数年前から日本の成長率がゼロになった。ローマ・クラブが二十八年前に提案した状態に今、実際になっている。

そうした一節を読むにつけ、経済や政治以前の私たち自身の一番素朴な生活観、人生観がどこから来ているのか - それを確認できないだろうかと思うのです。

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