アスリートが教えてくれるもの - 『諦める力』

もてる力を活かすということ

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為末 大さんといえば、私にはテレビのディスプレイを通して見ていたときの走りとか、ディスプレイを通して感じていた会場の雰囲気とかが自然と重なるアスリートです。その後のウサイン・ボルト選手よりもトラックを走る姿を見た回数が多いのじゃないかと感じるくらい、彼の走る姿は印象に残っている気がします。

私自身、トラック競技そのものについては素人です。学生時代、体育会系のクラブ活動に夢中になっていたので、そうした活動の中で野球やラグビー、弓道、そしてトラック競技に打ち込んでいた友だちとのふれあいを通して、みんなの苦労や頑張りを見てきた - それに、それぞれのルールやトレーニングの仕方などを互いに勉強し合い、励まし合って過ごしていた、それ以上にイメージや理解が持てているわけではありません。

為末さんはシドニー、アテネ、北京とオリンピックに3大会連続で出場し、世界選手権のエドモントン大会では今も破られていない日本記録を残しているアスリートです - それはきっと、敢えて書くまでもない、みんなが知っていることでしょう。

そんなふうに、彼の走る姿と、そうした活動の足跡が自然と重なるだけに、この著書のタイトル「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない」はとても意外に聞こえるのです。

ただ、3大会連続のオリンピックというときのシドニーが2000年、そして世界選手権のエドモントンが2001年だったことを思うと、彼がどれほどの時間を400メートルハードルという競技にかけていたかを感じることができるような気がするのです。そして、私たちが見ていたのは、この著書に語られている「勝ちたい」という目標を追い続けていた姿だったのだということも。

where am i, where do we go
(c) Can Stock Photo / dirkr

語られている言葉をたどっていくと、何かを超える、あるいは挑み続けるエネルギーがどこから生まれてくるのか、何かを越えようとする、あるいは挑み続けようとする自分をどうやって支えてきたのか - そんなアスリートの内面が伝わってきます。

僕は十八歳で花形種目の一〇〇メートルから四〇〇メートルハードルに転向したが、普通、一八歳といえば、夢に向かってがむしゃらに頑張っている時期だろう。

「諦めるのは早い」

一般的にも、まだまだそう言われる年齢だ。僕は諦めたことに対する罪悪感や後ろめたさを抱きながら競技を続けていた。しかし、時間が経つにつれて、四〇〇メートルハードルを選んだことがだんだん腑に落ちるようになった。

出典:「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない」、
“手段を諦めることと目的を諦めることの違い” より

競技に集中するために、肉体的なトレーニングと同時に自分だけで立っていられる精神的な強さを持たなければならなった - そんな葛藤を感じることができる一節です。そして、

特にスポーツ界においては「動機の純粋さ」というものが尊ばれる。日本人はとくに、どんなに不利な条件に置かれても、不断の努力によってそれを克服し、頂点に上り詰めた成功者のストーリーを好む傾向がある。

ただし、階級のあるスポーツにおいては、勝ちやすさの追求は戦略の一つとして認められている。

出典:「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない」、
“「勝ちやすい」ところを見極める” より

と、自分の立ち位置を確かめることができるようになるのです。

そんな姿に、語られている迷いや悩みはアスリートに限ったものではない、そもそも彼に「後ろめたさ」を感じさせていたのは何だったのだろうと想像力を働かせなくてはいけないと感じさせられるのです。

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著書全体に感じるのは、アスリートとしての回顧録のような、そのときどきの自分を正確に伝えようとしてくれる記録のようなものという印象です。
ですからそこには、アスリート・ソサエティという彼の最近の活動、その動機がどこにあったのかを想像させるくだりもあります。

言葉を変えれば、為末 大という名のアスリートのライフワークの一部を見せてもらっている - そんな余韻が残る一冊です。

自分のいる場所を「与えられたもの」ではなく、「自分で選んだもの」として向き合う姿に感じるのは、後ろめたさよりも潔さ。私にはそう感じられるこの著書にみなさんは何を感じるでしょう?

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