目指すものは変わってしまったのか - 『プロフェッショナルの条件』

仕事に求めるものって何だったろう?

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do you understand the target of your job
(c) Can Stock Photo / Palto

15年を超える時間が経っているのだから、隔世の感を覚えても無理はないのでしょうか?

P.F.ドラッカーの語る『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))』を今読み直してみると、私たち自身の社会に対する認識がこうも変わってしまっているのかという思いをぬぐうことができません。

帯に印刷されているのは

どうすれば一流の仕事ができるか?

そして

自分の能力を見極め、伸ばすための簡単な方法がある。ドラッカーが自らの体験をもとに教える知的生産性向上の秘訣。

という言葉。

ドラッカーの著書は単なるHow Toものではなく、まずはじめに、その目標に到達するのに必要な認識 - なぜ、なんのために、どう発想し取り組むのか - をしっかり持つことからはじめなければ、という論法で進められるものが多いように思います。

その意味で、「知的生産性向上」という目標にどうアプローチするかが語られている著書だと思えばいいのですが、何かが違うという思いが付きまとうのです。

たとえば、Part3 2章 自らの強みを知る というセクションにこんな一節があります。

仕事の仕方に着目する

自らがいかなる仕事の仕方を得意とするかは、強みと同じように重要である。実際には、強みよりも重要かもしれない。ところが驚くほど多くの人たちが、仕事にはいろいろな仕方があることを知らない。そのため得意でない仕方で仕事をし、当然成果はあがらないという結果に陥っている。

個人の能力を生かすには、個人の個性、仕事の内容と進め方、組織の目標が一体となっていることが望ましいと語っています。この一説はさらにこんな一節へとつながっていきます。

価値観を優先する

自らをマネジメントするためには、強みや仕事の仕方とともに、自らの価値観を知っておかなければならない。

組織には価値観がある。そこに働く者にも価値観がある。組織において成果をあげるためには、働く者の価値観が組織の価値観になじまなければならない。同一である必要はない。だが、共存できなければならない。さもなければ、心楽しまず、成果もあがらない。

さもありなん -このことは古今東西を問わない真理だと言えるだろうと思います。

そしてここに私が感じた違和感があります。
そもそも私たちは自分の価値観を認識して仕事に就いているのだろうか、そして、組織にあるという価値観を誰が認識ているだろうかという疑問を感じるのです。

この著書が発行された時代であれば確かに、たとえば、働くもの = サラリーマンに求める “べき論”、職場としての組織に求める “べき論”があったように思います。まず定義があって、皆がそれに合わせて、それに沿って価値観を共有し、同じ目標を目指すという感覚があったわけですが、”まず定義があって” ということは言うなれば、上から目線の価値観、でしょうか。

今の私たちの感覚はそんなところではないでしょうか。

もしそうだとすると、個人と組織の価値観の共存というのはどうなっているのだろうというのが、私の疑問であり、違和感なのです。

たとえば、Part2 3章 貢献を重視する セクションにはこう語られています。

権限に焦点を合わせてはならない

成果をあげるためには、貢献に焦点を合わせなければならない。手元の仕事から顔をあげ、目標に目を向けなければならない。「組織の成果に影響を与える貢献は何か」と自らに問わなければならない。すなわち、自らの責任を中心に据えなければならない。

(中略)

ところがほとんどの人が、下のほうに焦点を合わせたがる。成果ではなく、権限に焦点を合わせる。組織や上司が自分にしてくれるべきことや、自らがもつべき権限を気にする。その結果、本当の成果をあげられない。

この言葉も、言わずもがな、皆がよく分かっていると思っているはずのことを語っています。やはり15年という時間が経っても真理は変わることがないのだと納得したくなるのですが、ここにも疑問と違和感があります。

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“「組織の成果に影響を与える貢献は何か」と自らに問わなければならない” - これは万人に、あるいは仕事をめぐる真理ではなく、単なる価値観 - 個人ごとに受け止め方が違ってあたりまえのものにまでレベルが下がっているのではないのかという疑問です。

もしそうだとすると、私たちにとって仕事はなんでしょう。仕事の意味は、”私たちにとって” の意味だけでよいのでしょうか? もうすでにそういう意味になってしまっているのでしょうか? だから、この著書を読んで感じる違和感 - ここに語られているのはもう過去の価値観なのだと考えるべきなのでしょうか?

その答えはドラッカーの言葉の中にあるでしょうか。

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